おとうと日記

「あんね、こういうことあったんよ」

と弟に電話すると、だいたい、「お姉ちゃんそういうの多ない?」とは言いながら、彼は「お姉ちゃんが悪かったんちゃうん?」とは言わない。同じことを他の人に言っても、きっとみんなそんなひどいこと言わないのは知ってる。でも、そう言われるんじゃないかなと怖くて言えない。本心は人に言えない、そう言われると思うと。とここまで打っていたら、サジェストで「そう言われるととても嬉しいです」と出て来て、笑えねえ、と思った。こういった一文を書いてる時、わたしの本心はどこにあるかな。

人間は簡単に人間のことを傷つける。私もすぐ人のことを傷つける。弟は本当にいいやつで、でも弟も人間だから、同じように誰かを傷つけたことあるんだろうかと考えてしまう。傷つけられた人が、永遠に弟を恨んでたらどうしよう。私が小学生の時の同級生を今でも恨んでいるみたいに。

弟は3つ下だ。私たちは鍵っ子だったので、いつもふたりで遊んでいた。と、ここまで書いて、いやそうでもなかったな。わたしは学童に行ってたし、そこは3年までだったから、弟とは入れ違いに出てしまった、と気がついた。記憶はいつも都合の良いように作り変えられる。それでも思い出すのは、団地のジャングルジムで「この下は海ね、ワニがいるの」と想像して、ふたりで逃げ回ったこと。サイクリングに行こうと行って、埋立地の新開発地区に行き、ついたらふたりで海に背を向けておにぎりを食べたこと(だって家の前が海だったから、よく考えると何も目新しくなかったのだ)そうするとさらに思い出す。その景色のどちらもに、ああ、父親がいたなって。

こうして思い出を書き連ねて、なおわたしは嘘をつく。頭の中では、とてもじゃないが言えないような、残酷な記憶が居座ってる。それにどうにか気がつかないふりをして、周りの美しい出来事だけを「思い出」として紹介する。

私は、弟が大好きだ。と、素直に言うのをはばかられるぐらいには、弟にひどいことばかりしてきた。「ひどい」を「酷い」と書くと、ありありとその情景が浮かんでしまうから、怖くて書けない程度にはひどいことをしてきた。どうぞ弟が忘れてますようにと心の底から思う。

具体的なエピソードを打っては消してを繰り返し、何度目かに「もしかして」と気がついた。親も同じような気持ちを持つのかな。夜更けにふと、あの時のことを思い出して、失敗ばかり思い出して、ああどうかこの子が覚えてませんように、と心の底から祈るのかな。

親になるって大変だな。姉になるのが大変だったように。そんできっと弟になるのも大変なんだ。子供になるのとおんなじぐらいに。

初めて家族のことが書けた。少し嬉しい気持ちで、寝る、午前4時。

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