インターネットという未開の荒野では性悪説を。

 今回の記事は、下記の記事を参考にして書かれています。

   ーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーー

 「オンラインの世界では、根拠の乏しい悪意に満ちたサイトが、あたかも専門家のような体裁を取り繕っていること」が多々ある。なぜなら、インターネット上でファクトチェックが機能していないからである。

 概して、情報は、本当と嘘と間違いとが複雑に絡み合って織り成すものである。特に、インターネットではその傾向が顕著である。まさしく「未開の荒野」という表現がぴったりである。

 我々はその未開の荒野において、何が本当で、何が嘘か、何が間違いかを独力で判断しなければならない。

 常に疑いの目を持って、無思慮に早計に信じ込まないようにしなければならない。

 テレビやインターネットやSNSなどにおいて情報に接するときや持論の論証を行うとき、他者の論証を聞いて(読んで)いるときには、以下の文言を常に念頭に置いておく必要がある。では、引用しよう。

 『情報源の明記。その情報はどこから得たものか?ウェブサイトの多くは情報源があやふやで、それは論証を築く上では赤信号となる。また、その情報源は的確か?信頼性があるか?そして、そのサイトは詭弁を弄したり、代表的でないデータを使ったり、的確でないあるいは偽物の「専門家」を使って自説を押し付け、何かを売りつけようとしたり何らかの問題についてのあなたの考えを操作しようとしたりしていないか?少なくとも、複数のサイトを調べてチェックする必要がある』(アンソニー・ウェストン著・古草秀子訳『論証のルールブック(第五版)』(ちくま学芸文庫、2018年) p76)。

 上記の文言を頭に入れておいてほしい。

 「複数のサイトを調べてチェックする」ことは議論に参加する上で、ひいては現代世界を生きる上で必須の心掛けである。

 情報を得ようとするときや情報を評価しようとするときには、一つの情報源だけを参考にするのでは不十分である。参考にした一つの情報源は正しいかもしれないし間違っているかもしれない。というか、一つの情報源を見るだけでは、正しいのか間違っているのかを判断することができない。

 なぜなら比較対象がないから。複数の情報源を確認することは比較対象を確保するためにも必須である。

 また、複数の情報源に共通して記述されている情報は「一応の事実」としてみなすことができるので、そのような点でもやはり、複数の情報源にアクセスすることは必須である。

 しかし「検索エンジンでは『全て』はサーチできない」。「特定のトピックに関する最も信頼できる詳細な情報は、標準的な検索エンジンでは入り込めない学術組織のデータベースなどにあることが多い」(参考元は同上)。

 論文の検索サイトの例としては、例えば、以下のようなものがあるだろう。筆者はこれらのサイトによくお世話になっている。

・CiNii

・J-STAGE

・Google Scholar

 

 Wikipediaもまた豊富な情報を掲載しているサイトである。

 Wikipediaはあくまで「様々なトピックに関して情報を整理し、要約し、情報源を知らせることを意図している」(参考元は同上)ものなので、“情報源として” 用いることはできない。また、「誰もが編集に加われるサイト」であるので、情報の信憑性や正確性や恣意性にはやはり疑問符が付される。

 とはいえ、「非常にオープンな性質」によって「時間が経過するにつれて内容がより広範囲に、より中立的に変化していく」ということや「でたらめな書き込みや荒らしは通常ならたちまち修正されるし、更新は全て追跡できる仕組みになっている」(参考元は同上)ということは大きな利点である。

 Wikipediaは情報源そのものとして機能させることはできないが、情報源紹介サイトとしては大いに我々を助けてくれる。

 しかし、どのような情報に接するとしても、その際には次の言葉を思い出してほしい。

 「引用されている情報源はどれも、それぞれに限界やバイアスを持つ人々によるものだ。間違いやバイアスを避けることと同じくらいに重要なのは内容を素早く修正する能力だ」(参考元は同上)。

 思考の限界やバイアスから逃れることは容易ではない。いや、不可能なのかもしれない。しかし、我々は「反省」して「修正」することもできる。

 勿論、最初から間違いやバイアスを排除することができるのがベストだが、間違いやバイアスを犯したときに素早く反省して修正することはベターであると言えるだろう。

 やはり、常にベストを目指しつつベターを実現し続けることは大事な心掛けなのだ。




この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?