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たとえ些細な出来事でもそれには必ず縁と導きがある

私は猫を8匹飼っています。

その猫達は皆、野良猫でした。

我が家の庭に毎日通っていた猫達と、知人が見つけた猫達をそれぞれ保護し、今一緒に暮らしています。

元々私は犬好きで、生まれた頃から犬が家族の一員として居り、
今も犬を3匹飼っています。

猫は飼ったことがなく、飼うこともないと思っていたほど犬にしか興味がありませんでした。

どちらかというと猫は少し苦手だったくらいです。
猫は気まぐれ。なかなか懐かないとも聞くし、犬と違って高い所にもどんどん行ってしまうので飼うのは大変そう。
漠然とそんなイメージを持っていました。

それが今では犬よりも猫の方が多く居る
ちょっとした動物園のような家になりました。

きっかけはちょっとしたことです。

たまたま実家に帰っていた日、
さてそろそろ自宅に帰ろうかと思い、車に乗ろうとした時です。

その車の後ろに顔を少しケガした子猫が座っていたのです。

(汚れているし、まだ小さい猫なのにケガもしていてこれは大変だ)
咄嗟にそう思って、その猫に近づくと、猫は怖がって駐車場の隅に置いてあった植木鉢の裏に隠れてしまいました。

当時、猫への触れ合い方なんて分からない私はぐいぐいと近づいてしまい、ただただ猫を怖がらせてしまいました。

急いで鰹節やらを実家の台所から持ってきて、
隠れてしまった猫に対してあれこれと
捕まえるための試みをしましたが、
結局最後は私の隙をついてその猫は逃げていってしまいました。

弱っていたところにぐいぐいと人間がやってきて
猫の方は怖いし、迷惑なことだったでしょう。

猫のことが分からないなりに助けようと思ってしたことでしたが、
猫の方も人間のことがよく分からないので、逃げたいという思いしかなかったでしょう。

大変かわいそうなことをしてしまった…
あぁ、残念だ。助けることもできなかった…

そんなことを思いながら車に乗り、実家を後にしました。

帰宅する道中はその猫のことばかり考えていました。
無事に生きてくれよと。

後悔と祈りの気持ちで自宅に着いたとき、庭に野良猫が座っていました。

(なぜこんなに連続して野良猫に会うのだろう…?)
この偶然は何なのだろうと。

その猫はこちらをじっと見つめ、ゆっくりと立ち去っていきました。

車から降りて猫の去っていった方を見に行きましたが、もうその猫はおらず。

あの猫はこの辺にいつもいるのだろうか…?
とにかく気になったのです。

今までの私だったらそんなに気にすることもなく、あぁ野良猫だと思う程度でスルーしていたことと思います。
ただその日はとても、スルーしてはいけない気になったのです。

次の日の昼間、猫の餌を庭に置いてみたところ、
夜に見た時にはその餌は食べられていました。

きっとあの猫が食べに来たと思い、
毎日餌を置き、また会えないかと期待して待ちました。

その数日後、朝、仕事に行こうと玄関を出た時、目の前に気にかけていた猫がいたのです。
餌を食べにやってきていました。
私の顔を見ると逃げてしまいましたが、少し離れたところで私の方をずっと見ていました。

その後ほぼ毎日、朝仕事に行く前に庭で会うようになりました。

その時期は冬だったので、
もっと寒くなる前に保護しなければと思うようになりました。

猫の保護の仕方や関わり方など、あれやこれやと調べ、
捕獲器を用意し、庭に設置。

その猫は捕獲器に無事入り、保護することができました。

毎日顔を合わせていたこともあり、その猫はほとんど抵抗なく、
むしろ撫でてほしそうに甘えてきました。
あっという間に懐き、その日から犬と猫との生活がスタート。
保護猫第一号です。

そこからさらに、その猫のおそらく兄弟と思われる猫たちも続々と庭に来ていることが分かり、順番に保護していきました。
その時点で3匹を保護。

猫の保護をしていると知人に話していたこともあり、
知人から野良の子猫達がいるとの連絡が。

自分が保護してやりたいところだが、飼えない事情があって難しい。
もしよかったら…とのこと。

二つ返事で引き取ることを伝え、知人宅に行き、
合計5匹の子猫を保護。
猫の捕まえ方にも慣れてきた自分がおり、
手袋だけはめ、自らの手で次々と捕まえることに成功。

すぐに懐く子もいれば、懐くまでに数ヶ月かかった子もいます。

最初の保護から1年と少し経った今では、皆よく懐き、甘えてきます。

猫の保護団体にでも入ったのか?と周りに勘違いされるくらい、
一人で、勝手にではありますが、細々と保護活動をしています。

有難いことにご近所の方々が、私の猫の保護活動を受け容れてくださり、
「昼間、お前ん家の庭で猫見たぞ」「さっき居たよ」と教えてくださることも。

田舎で、以前は猫の放し飼いの方が当たり前だった地域でしたので、
未だに野良猫が多いことも皆が分かっており、
野良猫に寛容な方々も多いので、周りとのトラブルなく保護活動ができています。
そういった地域に今自分が住めていることにまた有難みを感じます。

仕事の都合でたまたま見つけて住み始めた地域と家でしたが、
こういった猫との出会い、猫を通じて知るご近所の過去とあたたかみ、
意味があって今ここに居るのだなと思います。

猫の保護について友人達に話すと
「そんなに保護して何を目指してるの?」
と、よく言われます。

何も目指していません。
ただ目の前に現れた命を守りたい…
自分の目の前に現れたということに何かしらの意味がある気がする…
それだけのことです。

誰かに凄いと言われたいわけでも、褒められたいわけでもありません。

縁あって私の目の前に現れた…ただそれを大事にしたいだけです。

私達の日常、行動、出来事、一つ一つには必ず何かしらの意味と縁があります。
それが何であるのか、今は分からないことでも、後から気付くものもあります。

縁とは、よく「出会い」とか「つながり」とか言われることが多いですが、
本当の意味としては、「きっかけ」なのです。
因果、何かの原因となることのきっかけにあたるものを縁というのです。
出会ったことが縁、ではなく、縁(きっかけ)があって出会うのです。
大いなる導きのことを言うのです。

たまたま起きたことではなく、何かしら自分や、遡るともっと前の何かしらの行動や出来事がきっかけで、新たな出会いやつながりを生むのです。

とある論語の勉強会でこのようなことを学び、なるほどと思いました。

私が猫たちを次々と保護していくきっかけ(縁)となったのは
最初に救うことができなかった猫との出会いです。
この出会いが無ければ、今8匹の猫たちとは一緒に過ごしていなかったことでしょう。

何かしらあの猫は私に”命を守れ” ”命を大事にせよ”と
伝えに来たのかもしれません。
今はまだはっきりとは分かりませんが、あの猫と出会ったきっかけと意味も、何らかのものが働いているのです。

最初は些細な、ただ実家の駐車場にたまたま猫がいただけのことです。
でもそのことに何とも言えない思いが沸き上がり、
私に新たな刺激と出会いをもたらしたのです。

猫の話にかぎらず、私たちの縁はそこかしこにあります。
何がきっかけ(縁)となり、物事が進むか分かりません。
良いことも悪いことも、それ以外のことも、今生じていることには何らかのきっかけ(縁)があり、それが様々な形で働き、私達の現在があるのです。

物事が好調に進んでいると感じている人も、そうでない人も
何がきっかけ(縁)でそうなったのか、
何が良くて、何を改めると良いのか、
自分の役割、できることは何か…

好調だからといって奢らず、調子に乗らず、
すべて自分のおかげだ、自分一人の力だと思わず、
大事にすべきこと、大事にすべき経験、大事にすべき人達を胸に秘めておく。
そういった姿勢がまた新たに良い縁と導きを成すでしょう。

何だか不調だなと思う人、
良いことがないな、毎日楽しくないなと思う人は
では、自分は何を大事にしていなかったのか、
何か変わるべきところがあるのか、そうでないのか、
ものの捉え方はどうか、
そういったものを今一度振り返ることで見えてくる課題があるかもしれません。

人間誰しも、課題や成すべきことがあります。
それに意識を向け、きめ細やかに気付いていくことがより己を磨くこととなるのではないでしょうか。

そしてそれは尽きることがありません。

今の私で言えば、猫を保護し、彼らと過ごす先にまた新たな成すべきことが見つかってくるかもしれません。
このnoteで発信していく先にまた新たな課題と、疑問、考えるべきこと、自分にできること、やりたいこと、そしてつながりが見つかっていくかもしれません。

今していること全て、また新たな出来事のきっかけ(縁)となっています。
ただ何となく送っている日々ではないのです。

それを思いながら、ワクワクとして過ごせる毎日であれたらと思います。



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