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不快なよい子

僕は反発を感じる

面白い物語というものに

ほんと、全ての元凶だと思うのだ

面白い、というのが

スマホには、神様が宿る

そう思う

神様が宿れば、物語が生まれる

神様の、宗教的な

それに埋没するようになる

みんなが

みんなが、自分の物語を宿している

そして、それに埋没している

気持ちいいから、

面白いから、

でも、本当にそれでいいのか?

現実から目をそらしてるんじゃないか?

都合のいい作り話ばかり信じるのか?

そのスマホで?


よい子、という言葉がある

でも、それは一体なにか?

どういうことなのか?

誰かから見たよい子?

それって、その誰かにとって気持ちいいから

よい子、と呼ばれてるだけなのではないか?

なら、本当は全く違うとしたら?

それはよい子ではないとしたら?

勝手な決めつけ、思い込みだとしたら?


よい子、というのは面白い物語だとする

だとしたら、それは唾棄すべきものでは?

なぜなら、よい子というのは現実ではない

現実に、よい子はいない。

物語にしかいない存在なのだ

現実から目をそらした物語にしか

だから、よい子、というものは疑うべきだ

なら逆に、悪い子、というのはどうか?

よい子と正反対、

それなら、現実的だ、といえるだろうか?

そうかもしれない?

なら、悪く振る舞うことが正しいだろうか?

だって、現実的なのだから?

悪くが正しいだなんて、

こんなことあり得るのか?

人は良きものを目指していくべきでは?

でも、よい子は現実的ではない?

一体なにが起きているのか?

スマホで良き振る舞いをすることは可能か?

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