ロミオとジュリエットが愛される理由

なぜ、ロミオとジュリエットは人を魅了するのか、フランコ・ゼフィレッリ監督、1968年,バズ・ラーマン監督、1996年,ジョナサン・マンビィ演出,ロミオ:佐藤 健 ジュリエット:石原さとみ2002の三作品を比較しながら考えていきたい。
ロミオとジュリエットを形容する言葉は『純愛』『生と死』がある。そのストーリー性はさることながら乳母の存在が物語全体の色や抑揚をつけロミオとジュリエットを際立だせ、惹きつけるのではないかと感じた。
まず、最初に乳母が登場するのはキャピュレット夫人にジュリエットを探してくるように言われて探している場面だ。容姿は映画二作品とも乳母というより老婆で見た目のインパクトが強い印象がある。その老婆がテンポよく表情豊かに身振り手振りでとんでもない下ネタを連発するのは滑稽で悲劇だということを忘れてしまう場面だ。舞台でもコメディ要素が強く、ジュリエットに静かにして!とリンゴを咥えさせられ声の高低も巧みに操り、会場から笑い声が聞こえていた。本来なら結婚の話をする重要な場面でありキャピュレット夫人は神妙な面持ちで話を切り出そうとするが、乳母が畳みかけるように話し出すと場が和んだ。この緊張と緩和の細かい変化をつける乳母の存在で飽きずにストーリーを楽しめていると感じた。この場面で気になったところが二点ある。まず、最初は席を外すように言われたが、やっぱり戻ってきて、といわれたことだ。なぜ、この一瞬で心変わりしたのか比較してもわからなかった。二点目は乳母にも娘がいて生きていたらジュリエットと同じ年だと言っていたことだ。そこで初めて『死』というのがでてくる。『死』に対しての悲壮感は全く感じられずむしろ下品で乱暴な言動を繰り返し、生命の営みを笑いにする乳母からはいい意味で人間臭さが感じられ『生』への意識を感じた場面だっただけに『死』が突然語られるのはなぜだろうと思った。乳母はすぐに卑猥なことをズバズバ言い放ち、色で言えば黒だ。一方ジュリエットは純粋で恥ずかしそうにしている。色は白だ。もっと言えば、マキューシオが黒でロミオは白として描かれている。純愛と不純を喜劇として描きつつも最後は急転直下で一気に悲劇へと変わる。不純と純愛、生と死、喜劇の中にうごめく悲劇という何層のもコントラストが単純な恋愛物語ではなく、人々を惹きつけていると感じた。そして乳母がその大きな役割を果たしているのではないかなと思った。

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