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ブランドマネージャがジャーナリストになる時代 N87

 これほど情報が氾濫し錯乱することになるとは思ってもいなかった。私が最初にモザイク越しに見たホワイトハウスの画像は表示されるまでに数分も(数十分が正確だ)かかり、ネットで情報を発するのはごく一部の限られた人間だったのはほんの少し前のことだった。  

 ツイッターはビジネス的には(つまり企業価値としては)他のGAFAに劣るもののSNSの可能性を本質的に捉えたプラットホームだと思う。このツイートが間違いなく情報を氾濫させて錯乱させる時代に突入させたのだ。  

 フェイクニュースを含めて、素人の発する情報には誤りも含まれており、何が本当に正しいのかという見極めは難しくなっている。しばしば情報を見極める力が求められると言われるが、私はそんなの無理だと思っている。そんな能力があれば素人のツイートやブログを読む必要はないだろう。 

 さらには誤情報が引用されることで誤情報を呼び、気がつけば真実になってしまうということすらありうるだろう。フェイクニュースはまさにそこを狙って仕掛けているわけだから。  

 そんな何が真実かわからない中に結局人間は正しそうな人に頼ることになるのだと私は想定している(実際には自分にとって納得してくれる情報を出してくれる人なのかもしれないが)。そして企業にとって必要なマーケティングはもはやモノ創りとかキャンペーンとか仕掛けつくりではなく、ブランドのメッセージをどう伝えることができるか?伝える力を持った人がいるか?が最もマーケティングの成功の可否の比重を占めることになるのではないだろうか? 

 そして秒単位でツイートされるソーシャルネットワークの環境下では「マスクが品薄で薬局で長蛇の列になっている」、「Go Toキャンペーンでコロナ下にも関わらず旅行が推奨されている」、こんな状況の時に企業、あるいはブランドはどのようなスタンスを持っているかをメッセージとして発する必要がある。実際、一部の企業で高い評価を受けた(もちろん、チョンボをして失望された企業もある)。  

 こんな日々の社会問題にも目を向けながら自社としてのスタンスを提示するThought Leadershipを発揮する仕事がこれからのリーダーである。それは少し前まではジャーナリストの特権だった。だがもはや発言権は平等に付与され、注目の度合いは有名度に比例する。著名なブランドはアクセス数が増えるためにジャーナリストとしての責任も負うことになる。  

 なぜ、ブランドがジャーナリストとしての責任を負うのか?人々の関心は社会的な問題に向かっている。一昔前であれば自分のことで精一杯だったが、特に若い人を中心に社会的な問題解決への貢献を望む人が増えきた。とても私は希望を持っている。企業もブランドもソーシャルに包含されている以上、どうリンクするか、そしてポジティブな貢献ができるかを発する必要が出てきているのだ。 

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