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パン職人の修造123 江川と修造シリーズ 満点星揺れて


店から出て行った藤岡を見送り、一人座ったままで残りのコーヒーを飲みながらさっきの涙が溢れてくる。

それを店の外から覗き込んだり引っ込んだりする大坂の姿があった。

仕事の帰りに駅の近くで食事をして帰ろうと思って店内を覗いたら二人がいたという訳だった。

うわ

俺見ちゃった

立花さんが泣いてるとこ。

どうしよう。

なんだよあの超絶イケメンは。

何を話してたんだろう。

お似合いだったのに、超絶イケメンが帰って急に泣き出したじゃないか。

どうする?

声をかけるか、いやいやかけない方が良いのか。

なんで俺がドキドキしてるんだ。

そう思ってると立花が出てきた。

「あ」

「こ、こんばんは」

「こんばんは」見られたくない所を見られた感じで立花は足早に立ち去ろうとした。

今は人と話したい気分ではない。

「送って行きますよ」大坂が付いてくる。

「一人で帰れます」

「だって」

立花は大坂を無視して歩き出した。

だって心配なんですよ。

こんな時しっかりしてる先輩が儚くて頼りなげだとか言ったら『私の事バカにしてるの?』なんて言われるのかな?


「家は近いんですか?」

大坂は遠くから声をかけた。

立花はちょっと後ろを振り向いてまた前を向いた。

繁華街から住宅街に入る。

「あまり長い事後ろから付いて行ったらストーカーみたいだなと思ってはいます」

「そんな風には思ってないわよ」

「そりゃ良かった」

「私は大丈夫よ、大坂君」

「大丈夫は大丈夫じゃないサインじゃない?」

「そうね、私は嘘つきで本当の事を言わなかったばかりに今こうして一人で歩いてるの」

「さっきの超絶イケメンの事ですか?」

大坂は早く歩いて横に並んだ。

「私は自分の好きな人に心を許してなかった。だから最後にあんな表面上の挨拶をされたのよ」

涙が追いついて来たかの様に頬を伝った。

自分を納得させる為に言ってるんだと大坂には感じた。

傷ついてるんだな。

大人になる程複雑で素直になれない事ばかりだ。

何か言いたいが大坂の恋愛能力ではこれが限界だ。

二人はしばらく黙って歩いた。

8時頃か

開いている家の窓からテレビの音が聞こえた。

昼間は暑かったが、夜になり涼しい風が吹いて立花の前髪を揺らす。

まつ毛を潤す涙も少し乾いてくる。

街灯のオレンジ色の灯りが二人の影を作る。


「もうすぐ私の住んでるマンションなの。ここ、江川さんのマンションの近くなのよ。時々パン粉ちゃんも来てるみたい」

「へぇ、二人は付き合ってるんですか?」

「さあ、そこまで立ち入った質問をした事ないわ。男と女が一緒に歩いたからって別に付き合ってる訳じゃないんだし」

そう言って立花は数歩離れた。

「おやすみ大坂君」

「あ、はい。おやすみなさい。また明日」

立花は頷いて角を曲がって行った。

流石にマンションまで追いかけるのは気が引ける。

「ところでここどこなんだ。俺は地図アプリ見るのが苦手なんだよ」

スマホを見て駅の方に歩いてるのに駅から遠ざかる。



ーーーー



次の日のパンロンドでの作業中

「ねぇ大坂君」

「なんですか江川さん」

「昨日ベランダで洗濯物を干してたらね、スマホを見ながらウロウロしてる大坂君みたいな人がいたんだ」

「え」

それを聞いていた作業中の立花は大坂を見た。

あの後道に迷ったとは言いにくい。

「ちょっと散歩していまして」

「散歩には見えなかったな、必死な感じだったよね。ねぇ何してたの?」

立花の視線と江川の追求を避ける為に「あっもうパンが焼けますので」と丁度ブザーの鳴り出したオーブンの所に飛んで行った。



その夜


「ほらこれ」

修造は大坂にヌンチャクを二つ持ってきて渡した。

二人駐車場で稽古をする。

「猫足立ちでヌンチャクの構えをこう持つと敵は次に上から攻撃してくるか下から攻撃してくるかわからない」


「こうですか」

「そうそう」

手取り足取り教えてもらいながら聞いた。

「あの、修造さん」

「ん?」

「リーブロって社内恋愛禁止なんですか?」と聞いたが、別にまだ『恋愛』にもなっていないのにこんな質問自体厚かましい。

修造はニタっと笑った。

「社内恋愛?フフフフフフ」

修造は勿論そんな事は言えた義理ではない。

18の頃、パンロンドで初めて自分の横を通った瞬間から律子しか見ていなかったので。

「勧めはしないけど控えめにね、ぐらいしか言えないな。誰かと付き合ってるの?」

「いえ全然、森田が言うには厳しい店もあるらしくて」

「確かに周りの人は気を使う事もあるかもね」

「そうですよね」 

「俺もそうだったな、律子に一目惚れしたんだ。いいよ結婚は、二つ年上の賢い妻、可愛い子供」聞きもしてないのに急に修造は惚気出した。

「そうだ大坂、俺とうとう今度の祝日娘と試合に出るんだ。序盤でヌンチャク演武、それと個人の型に出る。休んでごめんね」

「いえ、頑張って下さい」



ーーーー



空手の試合がある日は火曜日だった。

試合には田所家とパンロンドが休みなので由梨達四人組が応援に来ていた。


「頑張って〜緑、修造ーっ」大地を抱っこして律子は応援を続けていた。

「修造さーんファイトーっ」

杉本と風花、由梨も声を張り上げた。

藤岡は黙ったままみんなの様子を動画に撮っていた。

皆2階席から1階の会場を見ている。

その直ぐ後ろで黒い帽子を目深に被った女がひっそりと試合の様子をじっと見ていた。

いや、詳しくはオペラグラスで修造だけを見ていた。

そんな事は全く知らない修造と緑は試合で勝ち進み、次が親子演武の決勝戦だった。




つづく


修造も初めはヌンチャク下手くそでした。その話はこちら36〜38話


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