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「私」と「社会」の共生とは?

アーキテクチャーについての自覚や、
それに基づく想像力が欠如してしまうと、
自分が何をしていて、
それが何に繋がって、
どんな帰結をもたらすのか。

因果や機能を波及効果に至るまで
見渡す力をつけないと
矛盾する要求群の複雑性に溺れてしまいそうです。

世間知らずの高枕。

自分が見えない。
生きている社会が見えない。

これは自分にとっても痛手です。

誰にも理解されない主張をし続けるよりも
一刻も早く自分を知り、
社会の仕組みを知るべきですよ。

頭はいいけど性格の悪い人。
頭は悪いけど性格のいい人。

頭も性格もいい人。
頭も性格も悪い人。

バランスの取れている人。
いつもブレブレの人。

人間っていろいろですね。
容姿や感情面などを加えれば千差万別。

でも、人のことを
あーだこーだ言うよりも
自分をいかに成長させるか?を考えるほうが
きっといいのでしょうね。

頭も性格もいい人ならこうするでしょうから。

誰が悪いとか
社会が悪いと責任転嫁をしても
すべては自分に返ってきます。

世の中には悪い奴はたくさんいて
わかりあえない人もたくさんいて、
そうして社会は出来上がっている。

社会は自分のためにあるものではないから
思い通りに行かないことのほうが多い。

それでも私たちは生きていかねばならないのですよね。
そこで何を考え、どう行動すべきか。

自分を知る。
社会の仕組みを知る。
まずはここからではないでしょうか。

最後に…
谷川俊太郎の「わたし」という詩をご紹介します。

「わたし」は「わたし」。
山口みちこ、5さい。
でも、「わたし」って誰なんだろう?

生まれたばかりのあかちゃんから見ると
「おねえちゃん」。

お兄ちゃんからみると「いもうと」。

お母さんやお父さんから見ると「むすめ」だし、
おばあちゃんやおじいちゃんからみると「まご」。

先生から見れば「せいと」だし、
みっちゃんからみれば「おともだち」。

犬からみれば「にんげん」だし、
宇宙人から見ると…「地球人」!?

「わたし」は「わたし」。

一人のはずなのに、
こんなにもいっぱいの呼び名がある。

れすとらんへ行けば「おじょうさん」って呼ばれるし、
映画館ではただの「こども」になる。

じゃあ、私のこと知らない人から見たら…?

自分と社会。
考えるきっかけになる
素晴らしい詩であると私は感じました。


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