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『心を燃やせる』時代が戻ってきた

ここ一週間ほど地獄のように寒い。暖かい部屋に戻ってホットミルクを飲みつつ正気を取り戻している。その中で『寒さとひもじさは人をおかしくする』と実感している。何も考えられなくなる。寒すぎると生存に集中せざるをえない。

毒家庭も心理的な意味で『寒さとひもじさ』を味わう場所だったのかもしれない。とにかく死なないように、身を護るために思考停止するのだ。

ここ1年ほど父を対面で罵倒するなかで、今まで余裕の表情を浮かべていた彼がゾッとするような暗さを見せたことがあった。父が『鬼滅の刃』の童磨や、『ハンターハンター』のパリストンの印象と重なることが多く、私は彼等同様父がつけている仮面がずり落ちる瞬間を見たくてしかたなかった。そこに本心がある、と確信していたから。

ハツラツと常に笑顔をふりまき、初対面の相手へも軽妙なトークを繰り広げる元気な後期高齢者。それが父だ。『元気なお父さんねぇ』『素敵なお父さんねぇ』と他者(特に女性)から言われることは多い。なのに、いつも父と会話するときはとても居心地が悪かった。敬語で話すわけでもなく、ときには父にツッコミをいれることもできる。傍から見たら『普通』のはずなのに、父に対峙するときは心を鋼の鎧で覆いつくす必要性を感じていた。どんなに守りを盤石に固めても、父は隙間を縫って私の心を突き刺すような言動を繰り返した。そういうときも『鎧を着たからといって慢心した自分が悪い、すき間をつかれるなら体を硬くすれば良いじゃないか』と割り切ってきた。ただ40年近く戯れに心を抉られるのは辛く、ようやく去年から反撃の狼煙をあげたのだ。父を罵倒し、挑発し、取り繕っている『善人』の仮面を引きはがそうと鬼の所業を行ったのだ。

もともと父は貧困層の出身だったのではないか、と指摘した時、若々しくてハキハキとして自信に満ちあふれている父の表情は一変した。目から光は消え、肌は弛み、だらりと下がった口角へと豹変した彼は樹海からやってきたナニカのようだった。その後しばらくにらみ合ったが、耐えられないような冷酷さを感じた。恐かった。めちゃめちゃ後悔した。

もしかしたら父の原風景はそれなのかもしれない。最適解かどうかは別にして、びょうびょうと吹きすさぶ荒地を見せまいとハートウォーミングな仮面、ひょうきんな仮面、誠実な仮面、愛妻家の仮面、マイホームパパの仮面etc…とたくさんの仮面を努力の結果身につけてきたのかもしれない。ただ、どんなに仮面をつけてても近くにいると身体から漏れ出る冷気は伝わっていた。私は幼いころから受け続けてきたこの『冷気』にずっと怯えていたのだ。彼の前ではしゃいではいけない。頑張った成果を見せてはいけない。好きなものを知られてはいけない。心に灯ったわずかな火も見せてはいけない。そんなことをしたら猛吹雪がやってくるから。

結果として、『こんなの別に興味ないし』という戦術をとり殻に籠もるようになった。積極的につまらない人間になった。そうすると父がニコニコすることも学習していたから。幸いにも個室に閉じこもれたので、引きこもった部屋の中では好きなことやモノを独り楽しみ続けていた。

四十年という歳月を費やしてようやく父に対して諦めもつき、物理的にも距離をおけるようになった。ようやく、ようやくだ。どんなに長い間私はわたしを閉じ込めてきただろう。冷たい雪が吹きすさぶ場所から離れた今私はわたしと一緒に笑いあえるようになれるかもしれない。それは心を凍りつかせるような嘲笑ではなく、眼前の辛さから逃避するためのけたたましい笑いでもなく、胸の奥がじんわりと暖まるようなちょっとした笑いだ。

大丈夫、護り続けてきた種火はちゃんと残っている。残りの人生でしっかり燃やしていけば良い。


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