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読みたいことを、書けばいい。について、書きたいことを書く。


初めての会話

今夜はいつもより少し早く仕事が終わった。

「ほんの少しだけ贅沢するか」と、いつもの中央線快速を待つ人々の行列には目もくれず、躊躇もせずに東京駅中央線ホームにある券売機へ向かい特急券を買う。

席につき、レモン味の缶入りスポーツドリンクを飲みながら読みかけのプロレスラーの本でも開いて優雅に帰宅を決め込む寸法だ。たまにはこんな日があってもいいだろう。

ふと、新宿を過ぎたあたりで、窓際に置いたiPhoneが震えている。

仕事の電話なら今日はもう業務終了だぜ?と思いながら、iPhoneを手に取ると画面の着信表示には、敬愛する写真家、宮本敬文の名前。

席を立ち、デッキで敬文さんと暫しの雑談をしたのち、予想もしていなかったことが起こる。

「でね、ごうちゃん。このまえさあ、今度会わせたい面白い男がいるって話したじゃん。その面白い男といま大阪で飲んでるんだけどさ、ちょっと電話替わるね」

「えっ?ちょっ...誰?」

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「どうもどうも。田中泰延です。twitterではいつもお世話になってます」

これまでお互いに同じ広告業界に身を置きながら、DとHという出自の違いもあるのだろう、狭い広告業界と言いながらも、これまで仕事で関わることもなく、会う機会もなく、これまで彼とはtwitterでの悪ふざけのような文字のやりとりしかしたことがなかった間柄。それでもいつか会いましょうと言っていた相手だ。

田中泰延とはじめて電話越しの会話をしたときの、はっきりとした記憶はここまでだ。

そのあとふたりで何を話したのかは俺は正直覚えていないのだが、まだ見ぬその面白い男とのキャッチボールを楽しみ過ぎて、うっかり八王子まで乗り過ごしたことだけは忘れない。万が一、俺があのまま甲府まで連れ去られていたら、それを根に持ってその後に田中泰延と出会うことはなかったと思う。

あの日は、俺の記憶が定かならば、2014年の出来事。twitterで絡むようになってからすでに3年以上が経っていた。


twitter以前から知っていた名前

俺は広告屋という職業柄、若い頃からADC年鑑やTCC年鑑、コマーシャルフォトやブレーンといった業界誌の類には日頃から目を通していた。そこに紹介されている広告事例や制作スタッフの名前は、うろ覚えではあるものの、記憶の中に刷り込まれていた。それはもう、長年の習性といっていい。

そして、ある時、電通に田中泰延というコピーライターがいることを認識することになる。しかし、彼を認識した仕事がどんな仕事だったのかまではもう覚えていない。でもよくよく考えてみると、それはおそらく、彼がTCCの新人賞を獲ったから知ったのかもしれない。たぶん。うん。そういうことにしておこう。

少なくともtwitter以前から、広告屋としての彼の名前を俺は一方的に知っていた。いや、名前を知っていたと言うのは正しくない。正確に言えば田中泰延という四文字の漢字の字面を知っていた。なぜか三国志に登場する猛将、魏延を思い浮かべたことは覚えている。ただし、泰延を「やすのぶ」じゃなく「ひろのぶ」と読むことを知るのは、twitterで出会ってからだ。

ちなみに、田中泰延の盟友である前田将多についても、twitterとは関係なく、優れた広告事例を制作したコピーライターとして、業界誌を通じて認識していた。彼の場合は字面だけでなく読み方も認識していた。ジェネラル多めだなと思ったのはここだけの話だ。(twitterで見かけるまでは田中泰延の盟友ということは知らなかった)

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田中泰延とも前田将多とも、まさか後年、おっさんになってから出現した、「twitterという暇な時につぶやきを書き込むという誰が得するのかよくわからない謎のインターネット」がきっかけで繋がり、絡むようになるとは思ってもいなかった。それどころか働き方の多様性が叫ばれている最近の時流に乗る形で、いまや3人ともそのtwitterという変なサービスを本業としているわけだから人生は面白い。


有楽町で逢いましょう

田中泰延と初めて会ったのは有楽町だった。

敬文さんの計らいで電話で会話をしてから2ヶ月も経たないうちだったと思う。彼が東京に出張で来るタイミングに飲む約束をしていたのだ。待ち合わせの時間。有楽町駅前には大柄で黒づくめの男がいた。

やあやあ我こそは。初対面の挨拶のお作法、これは戦国時代からの決まりだ。それでも彼は馬に乗っていたわけでも、一輪車に乗っていたわけでも、ましてや法螺貝をぶら下げていたわけでもなかった。twitterでの発言や噂を鵜呑みにするのはほどほどにしとけということだ。

お互いtwitterを実名顔出しで運用している間柄だからこそ、恐る恐る名前を聞いたり、小っ恥ずかしいハンドルネームで名乗りあったりする必要などなかったのは幸いだった。どう考えても公衆の面前でそれをする勇気が俺にはない。

堅っ苦しくないざっくばらんな店でというリクエストに応え、案内したガード下の焼き鳥屋に腰を据える。ほどなくすると、仕事を終えた敬文さんと、敬文さんと俺の共通の知人である蟹ちゃんも駆けつけてくれた。

飲んでいる間、田中泰延はカバンから取り出したカメラを片手に時折シャッターを切っていた。

もちろん俺や敬文さんに対してシャッターを切る数の50倍くらい、彼は蟹ちゃんにシャッターを切っていた。まあ、それは理解できる。おっさん撮っても面白くないだろうしなにより二人とも撮り方次第では任侠ものになっちゃうような被写体だしな。すんません。

ちなみに、当時電通のコピーライターだった田中泰延の24時間は、カメラをいじっている時とtwitterをやっている時と酒を飲んでいる時と寝ている時間で構成されている、という噂があったが、それは本当なのだと確信した。

彼らとは、与太話中心のお互いの話や、写真の話、ほんの少しの仕事の話、そして、どうしても自身が書いておきたかったという敬文さんの書いた本「ウイスキー!さよなら、ニューヨーク」の話をしながら、心地のいい夜風の中、有楽町のガード下で盃を交わし続けた。なお、この有楽町の夜は一年後にまたやってくる。


田中泰延とはそれ以来交流が続いた。東京でも大阪でも飲んではいろいろな話をした。9割9分9厘9毛は与太話だ。仕事の話なんてしない。そもそも利害関係自体がない間柄だからだ。

また、彼との交流の中でさまざまな人と出会うことになった。盟友の前田将多や山本コージをはじめ、彼の周りにいる魅力的な仲間たち。

田中泰延も宮本敬文も人と人とを繋ぐハブのような男だ。もちろん毒ヘビの方ではないし、将棋指し方面でもない。

でもね、

まさかその2年後の夏、田中泰延と俺を繋いでくれた敬文さんが急逝するなんて、その時はまったく思いもしなかった。

そしてもうすぐ、また、あの夏が来る。


ひろのぶロゴ爆誕

田中泰延が電通を辞めると言う。

今後は青年失業家という肩書きで活動するらしい。毎月職安に通わなくてはならない身になったとしても、立派なフリーランスである。

考えてみたら、青年失業家という肩書きはあっても、ロゴがないじゃないか。そもそもロゴが必要かどうかはわからんが、名刺なんてものを作るのだとしたらロゴがあったほうがきっと格好いい。

俺は彼のロゴを2時間で作り、twitter上でプレゼントした。

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すると、電通の同僚の広重さんがそのロゴでステッカーを作った。ああ、なんかすごいなと思った。俺は頼まれたわけでもないデザインをしただけなのだけれど、田中泰延がよく言うところの「文字が連れて行く」ってこういうことなのだということを実感した。

自分の好き勝手に作ったものが一人歩きを始め、それが自分をどこかに連れて行く。この体験は中毒性がある。

それ以来、お遊びで頼まれてもいないロゴをデザインしたり、表紙だけの雑誌(Missmystop)を毎月作ってみたり、悪ふざけの延長でものを作りtwitterにアップするようになった。

頼まれ仕事をするのがなりわいの広告制作者にとって、好き勝手にモノを作ることができるのはとても魅力的なことだ。


ひろのぶついに処女出版

web上に書いたいくつもの記事は田中泰延をさまざまな場所へ連れて行った。青年失業家、写真者、そして、食べ残しケーキおじさんと、肩書きも増えていく。そして2019年6月、田中泰延がとうとう本を世に出した。

「読みたいことを、書けばいい」人生が変わるシンプルな文章術

2018年のある日「今度本を書くことになった」と聞いた。それも文章術の本だという。俺は小説じゃないのかと正直意外だった。でも彼の書く文章術の本は、そのへんの文章術の本のような、ハウツー本のようなものにはならないだろうなあと思っていた。いわば、バールとも違う、バールのようなものとも違うもの。なんだそれ。

それはtwitterでの与太話も含め、彼がこれまで書いているweb上でのさまざまな文章を読めば、普通の本にはならないと予想するのはそう難しくはなかった。

ただ、その内容うんぬん以前の話として、本を書くという話を聞いてから、俺には気がかりなことがあった。もうそれが心配で心配で、毎日8時間ほどしか眠れなかったくらいだ。

それは「この男は〆切を守ることができるのか」ということ。

いつになったら出るのだろう、本当に本が出せるのか?ダイヤモンド社、大丈夫か?この男は手強いぞ?

そもそも「〆切は出版社の都合だ!」と言い切る男である。もともと〆切至上主義が当然の広告屋だった男なのか、いまや疑わしいところだ。原稿取り立ての真っ最中じゃないのかというタイミングでも、内緒で俺たちと飲んでいたりする男である。漢なんである。

もちろん、俺らは楽しいからいいんだけど、担当の編集者さんは大変だろうなあと思っていた。でも、それも杞憂に終わった。なぜなら担当の今野さんも、田中泰延の共犯になれる、腹を括れる覚悟(今野さんだけ)を持てる稀有な存在であり、自分が世の中に出したい本に対して相当の情熱を持つ変態だったのだ。(褒め言葉です)

いやほんと、今野さんの30代とは思えない大人ぶり。50にして恥ずかしながら見習いたいし狂犬病とか言われてる場合じゃない。なにより、田中泰延が新しく作る出版社にこの方をスカウトしたほうがいいと俺は思うがどうだろう。

そして読んだ人ならわかると思うが、まだ読んでいない人もtwitterで検索すればこの本は相当面白いという評判だということがわかると思う。発売開始からあっという間に大量増刷が決まったのも頷けるはず。ダイヤモンド社の慧眼!凄い!ダイヤモンドアイ(各自検索)

そんな絶賛発売中の最中「ひろのぶさんの本について、ごうさんは書かないの?」と言われたりする。

内容はどうあれ、著者との関係性があると簡単には書けるもんじゃないと思っている。そして、俺が書くのであれば、俺にしか書けないことを書いておきたい。それがいま、あなたが読んでいるこの文章だ。

例えれば、ひと昔前、新日本プロレスを飛び出した格闘技志向の集団が立ち上げたUWFという団体が世間を席巻した時代があった。

その真っ只中に、古き良きプロレスの代名詞でもあった全日本プロレスの社長、ジャイアント馬場は「みんなが格闘技に走るので、私、プロレスを独占させていただきます」と語った(ということにされている)。つまりはそんな感じだ。

いつだったか、田中泰延と前田将多と飲んでる席で「ごうさんの長い文章読んでみたい」と言われたことが頭の片隅にあった。もちろんプロの物書きの二人に太刀打ちできるようなものが書けるわけなどない。だが、しかし「いつかそんな機会があればね」とは思っていた。

俺が実際に書いたところで、その文章を誰かが読みたいと思うものなのかどうかはわからないし、それが面白いのかどうかもわからない。それこそ文章の書き方としてどうなのかすらあやしい。それでも、ただ書きたいことがあった時に、書きたかったら書く。書きたいことを書く。そう決めていた。

だから今回、ただ、書きたいことを書いた。この本が世の中に出るまでの田中泰延との俺の中でのストーリーの一部を書いた。俺にしか書けないことだからだ。

「誰かと同じようなことを書くくらいなら読む側にいた方がいい」

本の中で触れられているこの一文はプロフェッショナルとしての矜持溢れる一文であり、これが、にわかライターにとってはとても耳が痛い一文、身に沁みる一文なのではないだろうか。そしてこれは、広告屋として生きてきたコピーライターにはあたりまえのように染み付いている感覚のひとつでもある。広告屋のモノ書きはすごいんです。

そしてこの本は、プロアマ問わず、それこそライターを名乗る人には絶対に役に立つと思うのだけれど、いわゆるWEBライターと名乗る人がこの本に言及していることが少ない気がするのはなんでなんだぜ?気のせい?大きなお世話?ごめんなさい。

なので、この文章は、業務メールのやりとりの最中の連絡待ちで時間がぽっかり空いていたから書いた、というわけでは断じてない。

さて、ここまで読んで、肝心のこの本についての書評はいつ始まるのかと思う奇特な人も中にはいるかもしれない。だが、ちょっと待ってほしい。そして、なんの心配もする必要はない。

友がはじめて書いたこの本について、すでにいろいろな方が素晴らしい書評を書いているしこれから書く方もいる。書評は書いてくれる人に任せればいい。だから、今回ここで書評らしきものが始まることはない。

つまり、書評は書かない。なぜなら読み終わっていないから書けないのだ。

最近のライター界隈では本を読まずに書評を書く人もいると聞くが、俺はそんなに器用じゃない。こう見えても正直だ。ちなみにサードライナーは三直と書く。

もう一度言う。俺はこの本を読み終えていない。

ではなぜ、このような文章を書いているのか。いま、なにか書いておきたかったからだ。それ以上でも以下でもない。さっきも言ったような気もするが、書きたかったら書いた。田中泰延がどんな思いで長い記事を書いているのかを体感してみたかった。ただそれだけなのだ。

ちなみに何度も同じことを繰り返し言うのは、ボケているわけではなく、伝えたいことを記憶に残すためのテクニックだ。広告屋がそれをする場合は間違いなく確信犯だ。世の中の通販チラシや情報商材のランディングページを見てみるといい。見ればわかるさ。

「おっさんは何度も同じ話をする」と馬鹿にしているうちは何も見えていないのだ。いま誰かの代弁をしたような気もしたし、誰かが憑依したような気もしたが、まあいい。そういうことなのだ。


なぜ、まだ読み終わらないのか

そもそも本が読めないからとか、仕事が多忙を極めているからとか、そんな理由ではない。どうしても俺はこの本をさらっと読むことができないのだ。この本は、超高齢化社会に相応しい、老眼世代に優しい、文字が大きめの、余白の多いレイアウトを駆使した本だというのにも関わらず、一日で読んだという声も多いにも関わらず、それでもなかなか読み進めることができない。

それは、冒頭からここまで書いた田中泰延という同い年の男との関わり合いの中で「文字に彼が連れて行かれる様々な場面」を目撃してきたものとして、ページを捲る手を止めて、いちいち感慨に耽ってしまうのだ。

田中泰延の本に限らず、宮本敬文の本にしても前田将多の本にしても、なかなか読み進めることができないのは、いつも同じだ。

俺が敬愛する男たちの、きっと彼ら自身が読みたくて書いた本を開くと、俺はどうしても彼らと紡いだ様々なことをついつい重ね合わせてしまう。

彼らと俺の、俺だけのストーリーが、ページを捲る手を止めてしまう。だからいつも、読み終わるのにすごく時間がかかるのだ。念のために言っておくと寝落ちしてるわけじゃないからな。

この本をいつ読み終わるのか。それは俺にもわからない。明日読み終わるかもしれないし、2ヶ月後かもしれない。

ただ、いま確かに言えることは、俺の大切な友人、田中泰延がこの先どこへ連れていかれるのかを、俺は見届けたいと思っている。




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