寒い

鏡に唾を吐いてまた拭うようなそんな意味のあるようでないような行為。普段は絵とか描いてる…

寒い

鏡に唾を吐いてまた拭うようなそんな意味のあるようでないような行為。普段は絵とか描いてるらしいです。

最近の記事

余談

文章が書けなくなった。思い通りの文章が。 私は私の文章が好きなんだけど、書けない、うまいこと出せない。 最近、やれ奨学金や就活やレポートや、かっちりした苦手な文章ばかり書いていたからなんだろうか。これは困った。 いや、困ったのか? わからん。 最近、自分の技法が自分のものになった感覚があって、そっからnoteを開くことも無くなったんだけど(制作ばっかで)、より自分に近しいアウトプット方法が、文から絵に変わってしまったんだろうか。思えば、私はアウトプットが好きなんだと

    • tsubuyaki

      クラウドワークスで仕事を探して、できそうなものから始める、というのを新年からやっている。 いつかのつぶやきでも記した通り、デザインの勉強をちまちまやろうってのが今年の抱負だからだ。今までやったことないわけじゃなかったんだけど、学部時代はいまいち続かず、というかセンスがないことに先に気づいてしまい、手が進まず、という方が正しいだろうか。まあ本業はデザインじゃないからね。 しかし、私はイラストレーターというツールが好きだ。今までも、自身の展覧会のDM、名刺、バイト先のイベントフ

      • 傷ついているわけじゃないが、痛くないわけでもない

        欲の、核。そこが満たせてないから、決別できていないから、私は何をしても、何人友達を作っても、満たされないのだろうか。 凪のお暇を読み返した。あの漫画は私のバイブルだ。そう思う。奮闘する主人公に自分を重ね合わせる。「あなたが満たされないのは、欲の核から目を逸らしているからじゃないですか」という登場人物のセリフ、グサッとくる。 前から、私がこころから求めているのは、揺るぎない愛情、切れない繋がりだと気づいていた。幸い、人と関わるのが好きなタイプなので、失敗もたくさんあったが、

        • tsubuyaki

          人間関係で、この人、前と態度が変わったな、とふと思うとき。それで不安になったり、嫌われたんかなと思うとき、大半、気にしすぎじゃない?繊細すぎない?よく言われる。 相手が私を好きか嫌いかが私にとって重要なのか。それは、正直わからない。重要だから気にするんだーと思ったこともあるし、さして問題ないはずなのになんで気にするんだろう?と思うこともある。 他人がわかりにくいことにある種恐怖感を持っているのかもしれない。例えば私と話してる時はすごく楽しそうに見えるけど、実は裏で悪口を言

          課題④

          フィンセント・ファン・ゴッホは私の記憶上、「絵を見てすごいと思う」体験を最初にくれた作家である。私は物心ついたときから絵を描くのが好きで、だから今、芸術系の大学にいるわけなんだが(こんなに長く!)、何歳だか覚えてはいないが幼い頃、多分コピー品であるゴッホの『夜のカフェテラス』をどこかの飲食店で見て、それが強く記憶に残っているという体験も影響していたのかもしれない。 ゴッホといえば『星月夜』、ゴッホといえば『ひまわり』、ゴッホといえば、黄色、かもしれない。『黄色い家』『ひまわり

          tsubuyaki

          自分が小学生の時って、大人になった自分が未来に存在するって事実があまり実感がないというか、信じられなかったよね。 なんなら、怖いなって思ってた。 もちろん、自分が赤子だったってのも信じられないし(過去のことはまばらに記憶があるけど)、お母さんやお父さんに、小学生や中学生の時代があったってのもなんとなく怖かった気がする。 その、想像し得ない恐怖対象の25歳の私が、今生きているって状況なんだけど。今でも怖い、30歳の私が未来に生きていることが。 今の恐怖は、きっと将来に対しての

          tsubuyaki

          私の友人、数少ない女の友達。彼女から笑顔が消えた。全くの無表情ってわけじゃない。けど、笑わない。しょうもないことでも満面に笑うような、ひまわりみたいな子だったのに笑わない。 どうして、鬱で退職した彼女が、ハローワークで「失業保険は楽して貰うお金じゃないの。」なんて、言われなきゃいけないんだろう。彼女の実家は家族経営だ。彼女の父親の姉は、それを良いことに経理というポジションで自身の私的な出費を経費として落としてちょろまかしているらしい。そんな奴が平然と生きているのに、人間関係で

          tsubuyaki

          Macbookをバッテリー交換に出して、Appleから返却されてから早3日。何かに駆り立てられるかのようにAiを触る日々。 オンラインスクールに入ろうか考え始めて、でも今まとまったお金を用意できる状態にない。ならばとりあえずは出来ることからやりますか、というので、正直勉強になっているかはわからないが、いいと思ったデザインの真似事などを毎日している。しすぎて、本業に支障をきたしつつある。 大学生になってから必要以上に焦ることが増えた。もとより、手持ち無沙汰なのが結構苦手で、ア

          つぶやき

          抑うつ状態から抜け出せない。将来が不安だ。じゃあどうすれば安心するのかと言われたら、きっとどんな状況下でも不安になると思うので、考えるだけ実は無駄だったりするのだけど。 しかし少し前までは例年よりは不安感も少なかった。何故なら、とりあえず修士課程は卒業しようと思ったから。理由は、教育機関で働く将来も選択肢の一つだと感じ、私は芸術を専攻しているので、助手なり、非常勤なりに上手く就くことが出来れば、苦労やお金のことはあるだろうけど、制作を続けていけるだろうと思ったから。「とりあ

          つぶやき

          つぶやき

          抑うつ感で動けない。今日は大学に行こうと思っていたが、昨日から続く希死念慮と身体の風邪症状により、起きてから食事をして以来何もしてない。煙草の吸いすぎだろうか、肺の負担を感じる…気がする。 パートナーに位置する人間に対して、友人よりも強い態度を取ってしまう癖は年々弱まっているが、完全に消えるわけじゃない。 スマホゲームをしながらぼんやりそういうことを考えては反芻していた時、ふと私はお母さんと一緒なんじゃないかと思った。 お母さんは、外面がいい。仕事ができる人間であり会社にも

          つぶやき

          課題③

           現代の日本画分野に竹内昌二という作家がいる。先日、大丸京都店のギャラリースペースにて個展をされていたので、拝見した。正直、かなり好きだ。初めて作品を見たのは、新日春展だったか、日展だったか。水の表面をこれでもかと書き込む…と思いきや、抜くところはしっかり抜いて、とにかく画面の構成が素敵な作家であるという印象があった。今回の大丸での展示は、より水の表面の書き込みを追求しており、銀箔のふんだんに用いた荘厳な雰囲気の空間を作っていた。  日本画は、染織のイメージに近いと思っている

          課題②

           川瀬巴水の作品には、静寂が棲んでいる。昨今、作品の展示方法について考え、よく頭を悩ませているのだが、川瀬巴水の作品こそ「美術館に飾るのが相応しい作品」と言えるかと私は思う。何故なら、絵に音がないから。静かな場所で、彼の目により切り取られ、彼の手により彫られた日本の風景を堪能したい。作品によっては、野外、カフェなどの日常生活にて触れられる場所、いろんな展示場所があり、それによって様々な見え方がある、それが作品の表情を変える一因でもあろう。彼の画面こそ静かで音がないように感じる

          課題①

          染織の作品もそうでない技法の作品も、鑑賞する時はいつも、色や構図、描き方を、どう染織という技法に落とし込めるか、どうやって自分の肥やしに出来るか、そういうことを考えている。個人的に、見ていて特に参考になるのは日本画と版画。その分野での好きな作家ももちろんいるので後々話にあげたいと思うが、最初はエゴン・シーレの洋画から見てみたいと思う。  エゴン・シーレといえば、人物のイメージが強い。特徴的な画角への収め方、歪んだ粗い線。彼にとって人間とは、繊細で洗練された物には見えていなか

          野外展示って良い

          野外展示って良い。 そう思ったのは、型染め作家の玉井佐知さんの『Human Wall』の作品を見てから。 (玉井さんの作品が良いだけかもしれないが…) 白い壁に飾るのももちろん良いけど、野外での展示もおもしろい。 なぜそう感じるのかはあまりわかっていないので、言語化はしづらいが、良い。 グラフィティアートなんかもそうだよな。大体が外の壁に書かれるから、自然とか街とか、野外ならではのものと調和、共生することになる。場所によるけど、ある種日常に入り込んでくるような。作品が負

          野外展示って良い

          幸福でも不幸でもない、ただ痛みがあるだけ

          今日は早めに寝て明日は大学に行こうと思っていたけど、じゃあ今布団に入っているのかと言われれば入っていない。 白湯を呑んでいる。 白湯はいい、デトックスやら云々は知らないが、こころがあたたまる。物理的にこころを温める唯一の方法。横になっていると内側から良からぬものが出てきてしまった。内臓が圧迫されて観念し、一旦白湯を呑んで落ち着くことにした。 こういう時は、耳が澄んで宜しくない。吐息が溜息に聞こえてしまうのは、私の頭が変な方向にまわっているからだ。よくもまあ、こんな考えて

          幸福でも不幸でもない、ただ痛みがあるだけ

          tsubuyaki

          自分がいいと思ったら、他人に否定されても関係ない。反対に、他人がいいと思ってるものでも、それの良さがわからないのに頷くようなことはしたくない。 人と、比べるのをやめたい。 「風景を描く意味」が落ちてないなんて言ったのは、「風景を描く意味」を明白にして、他人を理解させるような理由がないとダメだと思ってるから。 他人に、理解を求めているから。 他人に、否定されたくない。 そんな気持ちでつくったって、良いものなぞ生み出せない。 自分の曲が売れたって、iPodでその曲を聴いて