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「推し」文化についての散文。

「推し」という文化があります。アイドル界隈からその文化は音楽に限らずあらゆる方面に広がりを見せてます。昔からあった特有のファン心理が言葉によって顕在化されたようです。

「推し」文化を考察すると、好きなアーティストを崇める、更にはサポートしたい、更に具体的には経済的にもサポートしたい、という気持ちが込められています。これは音楽業界の一時の加熱した活況からの急激な衰退、もしくはなだらかな下降に関係してるように思えます。

かつて音楽アーティストはスターでした。もちろん経済的にも豊かで憧れの存在でした。セレブでした。それが変わってきています。今や決して憧れの生活をしてる人はごく一部です。昔からごく一部でしたが、更に更にごくごく一部になっています。

私は「推し」文化に馴染まないです。
音楽は私利私欲で求めるものです。

ニールヤングは大好きですが彼の音楽活動をサポートしたいとは思わない。それは日本のインディーバンドに対しても変わりません。単純に好きだからライブに行く、音楽を聴く。そんな中で音楽業界での役割として活動をすることはあっても、一ファンとしては彼らをサポートしたい、経済的な援助したい、という気持ちは一才ありません。

音楽は私利私欲で良いと思う。

音楽から入ってその人に感情移入にまで及んでしまうと、元々の音楽そのものに対する気持ちが薄れる、変化する、ような気がしてなりません。「推し」という言葉を目にするたびにそう感じます。

音楽家も「推し」文化に乗じて遠回しながらにサポートを求めるような発言も散見されます。それは違うと思う。音楽家は音楽を提供する側で私利私欲でそれを享受した側によって産まれる報酬を受けるべきです。それ以上のことを求めるべきではありません。

とここまで書いたところでクラウドファウンディングのことが頭に浮かびました。一見「推し」に近いように感じられますが違います。どちらかというと投資に近いです。音楽家に対する投資、それも個人による投資はあってしかるべきです。それがやりやすい時代になったのは歓迎すべきです。

「推し」文化も元々はアイドル界隈から産まれた言葉です。アイドルは音楽ではありませんが音楽に間接的に多大な影響を与えていることに気付きます。

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