見出し画像

定年後フリーランス☆定年前後のおじさん、おばさんの集う或るコミュニティをちょっと覗いてからの感想

 去年(二〇ニ三年)後半のほんの二ケ月ほど、定年前後のおじさん、おばさんの集う或るコミュニティを覗いた。目的は、定年前後(五〇代後半から六〇代前半あたり)のおじさん、おばさんの生態をいちどじかに把握してみたかったから。生態を把握するにはいったん入会しなければならない。入会金が13000円で月会費が1500円。ずっと居るぶんにはよいが、ちょっと覗くだけのものにとっては、まずまずの金額。でも体感したいと思っていたことが概ね体感できたので無駄な支出ではなかった。このコミュニティを覗いたきっかけは、当該コミュニティのおじさんたち(私が視たときはまだおじさんだけだった)によるトーク動画をたまたま目にしたから。(私が同年代ゆえ、お薦め動画としてあがってきていたのだろう。おそらく。)おじさんたち個々の身辺状況にまつわる、じつに他愛のない雑談であった。決して下品ではないが、品位があるという訳でもなく、また特段薬にも毒にもならず、何かしょーもな、と思いつつ、毎週日曜日、午後八時から一時間ばかり、ちょうど夕飯後の腹ごなしにだらだらと見続けていた。もうひとつは動画に常時、顔を出されている、当該コミュニティを主宰する女性のキャラクターにちょっと惹かれたから。集うおじさん、おばさんたちの娘ぐらいの年齢(四〇歳になるかならないかぐらい)のひとで、美人聡明で真面目な印象ながら、同時に何か不器用な感じがあって、ちょっと見その〈不器用な感じ〉(変に手慣れていないシロウトくさい感じ)に惹かれた。この〈そこはかとした不器用感〉が計算された演出だとすならば、それはそれで凄いとも。

ZOOMによるミーティングに四回ばかり出席した。定例会と特定のテーマを深堀りする会と読書会。内容はだいたい想像していたような感じであったが、ZOOMの画面に出てきたおじさんとおばさんがじつにソフト(変に尖っていない丁度よい塩梅の雰囲気)であった。逆にそのソフトで均一な印象に、私としてはちょっと戸惑いというか違和をおぼえた。入会前に代表の女性とのZOOM面談があった。その段階でイキった鼻息の荒い、輩風情のオッサンは外されているようであった。なるほどなあ、と思った。コミュニティの安定存続を考えるとややこしそうな人間は外すのが得策だ。私も趣味(俳句)のマニアックなコミュニティながら大小いろいろ体験したが、どこにも必ず面倒くさい厄介なオッサン、オバハン(おじさん、おばさんとはちょっと違う)が数人は居て、コミュニティを引っ掻きまわし、ときに血で血を洗うような修羅な状況を引き起こしてコミュニティが分解しかかりもしたから。

ところで私が退会した直後ぐらいから、このコミュニティはあらゆるマスメディアに取り上げられて大ブレイクした。今もまだその熱気のなかにある模様。会員数がちょうど百人に達するぐらいの時点での大ブレイクだからまだまだ入会者が増えて、さくさくと千人ぐらいはいってしまいそう。まこと慶賀にたえない。〈おじさん〉とか〈おばさん〉とかの、垢抜けないながらユーモラスな憎めないイメージは、ここまで巷で地味に愛され続けてきたが、近年の社会の大変化の渦に揉まれて右往左往するその他大勢の〈おじさん〉〈おばさん〉のダイナミックな光景は見たことがない。けっこう切羽詰まった状況のひともそこそこ居て、さらにまたその混迷状況につけ込んで銭をぼったくりにかかる邪なハイエナ情報商材屋が到るところに出現して、なかなかのカオスを呈している。

当該コミュニティ自体の繁栄はそれとして、私は、昨今の定年前後のとくに〈おじさん〉について、自身のセカンドキャリア構築へ向けてのあまりの主体性の無さ(他人任せ感)が気になった。百人規模時点での、当該コミュニティ内のかなりの数の〈おじさん〉の「私は何者? これからどうしたらよいの?」状態には参った。いやしくも三十年から四十年もの歳月、世間の荒波に揉まれてきたはずの〈おじさん〉の自信無さげな雰囲気、主体性の無さは何処から来るのであろうか。この状態をどう解釈したらよいのか。社会全体こんな感じなのか。それともこのコミュニティに集ったひとびとがたまたまそんな感じであるのか。定年前後、すなわち五〇代半ばから六〇代前半あたりの〈おじさん〉〈おばさん〉の充実したセカンドキャリアへのコミュニティとしての支援、またコミュニティ会員同士の相互扶助が当該コミュニティの主要なテーマ、実践なのも、つまりそういった現状を踏まえてのことなのだろうが、そもそもなんでこんなていたらくになっているのか、ということだ。

やはり現時点で定年前後のひとびとの大方は、良くも悪くも会社にぶら下がりすぎたのだと思うわけで。理不尽な事も多々あっただろうが、詰まるところずっと会社に守られてきて、会社から離れた(放り出された)後の自分の行く末を、より具体的にリアルに想像することを怠ったと。会社自体も今ほど切羽詰まってなく、社員を食客のように抱えておく余力があったことはあった。いずれにせよサラリーマン版平和ぼけ。

そこで私が頭の中に描く、きわめてリアルなその他大勢の、現時点での〈おじさん〉〈おばさん〉の行く末は、許されるところまで会社にしがみついてゆき(可能なひとはこの時点から副業もして)、会社に捨てられたら複数のパート、アルバイトを掛け持ちで食いつないでゆく。年金が完全支給となってもずっと。動けなくなるまで。だけど他人の商売の片棒かついでの、やらされ感満載のそんな仕事ずっとやって楽しいのかなあ。楽しければとやかく言うことはないのだけれど。自分の気持ちをごまかして宥めていないのかなあ。

会社から放り出される段になって、初めてその先を想像し始めて、自分で仕事起こして何かをなそうとしても残念ながらアフターフェスティバルである。もちろん例外はあって、出たところ勝負でいって短期間で自分の思い描いたセカンドキャリアをつくるひともいるだろうが、僅かだ。よく三年、四年、五年あたりの歳月で自分の思い描いたキャリアへシフトチェンジ可能と言うひとがいるが甘い甘い。そんなのは邪な情報商材屋の甘言の類だ。〈その他大勢〉の凡庸な人間は、若いころからサラリーマンやりながら並行して、自分発独自の仕事に数十年かけて周到、緻密、誠実かつ粘り強く取り組んで、それで会社からほかされる段になって、どうにか独り立ち(主体的に仕事がやっていけるという意味)できるかできないかだ。

現時点でまだ二〇代、三〇代半ばあたりまでのひとは、現時点で五〇代、六〇代前半あたりの〈その他大勢〉の〈おじさん〉〈おばさん〉のぶざまなあえぎようをよく見ておくとよい。これからのニホンはどう考えてももっとディストピアになってゆくと思うから。何事も絶対に人任せにせず、いろいろ情報を集めて精査して、変化に目を凝らして、ひとつひとつは小さくともよいから自分独自開発の尖った武器を出来るだけたくさん装備してください。すでにシビアな現実を生きつつある若いひとびとには言わずもがなのことですが。

此の世に居られる時間もだいたい見えてきて、神さまに与えられた(と勝手に思っている)残り時間でどう人生を締め括るかを考えている私ゆえ、他人のおじさん、おばさんの行く末など知ったことではないが、この世の残り時間を、遊ぶにせよ仕事するにせよ、主体性をもって、生きているという手応えを感じながら過ごしたらよいのに、とは思う次第。



この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?