完全オレ流障害観48「やって良いことと悪いことの判別」
幼少の頃はまだまだやっていいことと悪いことの判別が難しい。
それを親、先生、支援者が教えて、物事の良し悪しを覚えていく。
オレの場合は覚えるのが遅くてその点は苦労した。
覚えてもまだまだ暗黙の了解がわからない。
そして暗黙の了解は状況によって変わるから辛い。
例えばオレは小さい頃はばあちゃんの部屋の障子に指で穴を開けたり、習い事先のコードレス電話を床に投げつけたり、ごはん茶碗を振り回したり、実家の壁に落書きをしたり、コンクリートにチョークで落書きをしたりと、やってはいけないことがとことんわからなかったのだ。
やってはいけないことは当然、やれば怒られる。
怒られることで「あ、これは怒られるからやってはいけないんだ」と覚えていきやがてやらなくなる。
人に迷惑がかかるから、人に危害が加わるから、自分がされたら嫌だから、親に怒られるから、等々、自制するきっかけやものの良し悪しの覚え方は様々である。
しかし、やがてやらなくなることもあれば、スリルを求めてやってしまったり、または苛々して衝動を抑えられなかったりして、やってはダメだとわかっていてもやってしまう、言ってしまうこともある。
オレはその傾向があることを自覚している。
ダメなのはわかっているけど抑えられない行動や言動がある。
そういうとき辛いな、苦しいなって思い詰めてしまう。
または暗黙の了解がわからないゆえに、わからないままにやらかしてしまうこともあるし、逆に、悪いことをしてる人がいると見受けた場合に自分がこれまで覚えてきた良し悪しを、正義感や正論を振りかざしてその人に注意をしたり別な人に報告するなんてこともある。
それによって反感を買うこともある。
なぜ反感を買うのか。
それは覚えてきた良し悪しが、「こっちでは悪いことだけどあっちでは別に悪くないこと」という暗黙の了解がわからないから。
または「こっちでもあっちでも悪いことだけどみんながやってるから自分だけ注意されるのがうざい」と相手が感じるからというのもある。
相手がそういうふうに感じることをこちらはわからずに指摘してしまう。
そうなると反感を買いやすい気がする。
発達障害者が人間関係を上手に築き上げるのが難しい理由や原因は、つまりはそこにあるんじゃないかなと、当事者として考えている。
勿論あくまでもそう考えているだけで実際はわからないけど、オレ個人的には一理あるんじゃないかって思う。
理解力や人間としての成長のスピードは人それぞれだと思う。
暗黙の了解を理解することが難しい、これを言ったら相手がどう思うか考えることが難しい、自分の行動や言動がその場に相応しいのかどうかを考えることが難しい、だから「障害」なんじゃないかな、と。
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