散文(春)

3月の初めから続いていたアパートの外壁工事は、ようやくひと段落した。防風ネットが取り払われ、久しぶりに外の景色が見えるようになったが、何の変哲もない、いつもの景色だった。当たり前である。

これが終わればきっと、といつも何かに期待する。この春が終われば、この仕事が終われば、コロナ禍が終われば。実際、何かが明けたところで待っているものなどなくて、そこはただの空白だった。これがずっと待ち望んできた景色だというのか。いつも、自分で自分を落胆させる。そんなことを繰り返しながらも、生き延びてきた。

最近、他人とあまり関わらなくなった。休日に家を出る足が重くなった。花粉症の酷い春だから、年度末の仕事の疲労が抜けていないからだと思いたい。
そろそろ、何もかも諦めても許されるだろうか、と思える理由を無意識に探している。30歳を越えたから。白いお茶碗を割ったから。プロテインのシェーカーの蓋が無くなったから。手首が痛むようになってきたから。平日、寝落ちする夜が増えたから。猶予は確実に減っている。

去年の今頃の自分は、ネモフィラを観に行っていた。汗ばむ陽気。海風の強い丘。写真なんて消してしまった。少し浮遊感のある記憶は、10年前に観た光景か、あるいは小説で読んだ景色のようで、もう現実感がない。あの時の自分と今の自分に、連続性があるように思えない。

花粉の所為か、最近、頭の働きが悪い。何かに辿り着く直前に、思考が止まってしまう。目的地の直前で案内を打ち切るカーナビみたいに。言葉が、感情が生まれない。気の利いたタイトルが思いつかない。

アパートの廊下には春の夜の風が抜ける。静かだ。少し湿った匂いがする。

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