見出し画像

なぜ「ON AIR」なのか【しごと論】

なぜ「ON AIR」なのか。昔、やしきたかじんが、こう話していたというエピソードを覚えている。

『“AIR”というのは空気。スタジオの空気がそのまま出ていくもんやねん』

これを聞いたとき、「なるほど」と感銘を受けたのだが、僕はテレビタレントではないので、特に実感する場面は訪れなかった。でも、ライターとして取材やロケを重ねていくうち、この言葉が徐々に内側に染み込んでいき、今ではとても意識するようになっている。

取材やロケが楽しかったりおもしろかったりして心が揺さぶられると、やっぱり原稿のクオリティは上がる。現場の雰囲気が文章に生き生きと表れ、読者にも伝わるのではないかと期待できるようなものが完成する。

だから、僕はライターとして取材やロケに参加するとき、できるだけ楽しい空気を作れるように心がけている。もちろん、テーマによってはそう言ってられない場合もある。けれど、より良い記事やコンテンツを作ろうとする前向きなモチベーションは、内容にかかわらず持っていたいし、持っていなければならないものだとも思っている。

「楽しむ」とか言うと、もしかしたらプロっぽくないかもしれない。ピリピリしたり、ギスギスしたり、そっちのほうがガチガチのプロっぽくて、真剣味があるように思われるかもしれない。ただ、僕から言わせると、真剣に向き合うなんてのはプロとしては当たり前のことで、いわば最低ライン。そのうえで、緊張感を自分の中に封じ込めて消化し、いかに平気な顔して楽しい空気を作れるかが、プロとしての腕の見せ所だと考えている。そして、それがカッコいいのだと思う。周囲に気を遣わせるような巨匠もいるが、そういう人を僕はあまり好きじゃないし、クリエイターとしてはさておき、人としては尊敬できない。

楽しい空気を作るのは、僕ひとりだけではできない。残念ながら、そこまでの影響力は備わっていない。その現場にいる、すべての人の協力がないと成し得ないのだ。取材スタッフはもちろん、取材対象者にもその責任の一端はあると考えている。取材対象者が楽しめるように、また、心地良く参加できるようにするには、取材をする立場にある僕たちにかかっているのは言うまでもない。

だから、ただ同席する人たちが、その空気作りを妨げようとしたりすると、すごく冷めるし、ときには無性に腹が立ったりする(取材対象者に気を遣わせているような場合は余計に)。

その人たちは仕事として同席しているのだろうが、そうであればより良い記事やコンテンツを作るには、どう振る舞えば良いかを考えて臨むべきだろう。同席するのは手段であって、目的ではないのだから。

審査員か審判になったつもりなのか、品定めをするような目つきで取材対象者や取材スタッフを凝視したり、オンラインインタビューで顔を映しておきながら眉間に皺を寄せて不機嫌丸出しの表情をしていたり、そんな人たちは空気を壊すから困る。そういう人はいるだけで邪魔だから、本音を明かすと、マジで来ないでほしい。お忙しいでしょうから、ぜひとも他の仕事をしておいていただきたいところである。どうしても同席したいのなら、どんなに機嫌が悪くても、嘘でも良いからせめてニコニコしておいてほしい。竹中直人みたいに笑いながら急に怒り出すのは、それはそれで気持ち悪いけど。

空気は、伝わる。それはテレビやYouTubeだけでなく、文章にも当てはまる。もし今後、何かしらの取材を受ける機会があれば、そこにいる人たちと一緒に楽しい空気を作ってみてほしい。そっちのほうが良いものができあがる確率は高くなるし、どんなことでも楽しいに越したことはないでしょうから。

★Kindleにて小説「おばけのリベンジ」販売中!

★いしだえほんにて絵本「スマバレイの錆びれた時計塔」販売中!


この記事が参加している募集

仕事について話そう

よろしければ、サポートお願いいたします!頂戴しましたサポートは、PR支援や創作活動の費用として大切に使わせていただきます。