見出し画像

入り日

 私の乗った電車は駅に入ってきた。止まってドアが開き、私はホームに降り立つ。線路の向かいには丘陵が迫っていた。改札へはホーム中央の階段を上っていかなければならなかった。降りた位置は列車の最後尾に近くて、改札口からはいちばん遠く離れているようだった。近くの車両からは、十人ほどが下車しただろうか。午後も遅い時刻のローカル鉄道の田舎駅であった。

 周辺を見渡しても、人家以外は目につかない駅だ。と、ホームに降りた私の近くにいる人たちが、改札へ通じる階段のほうへではなく、逆の方向へと歩いていく。後ろ寄りにもうひとつの改札口があるに違いないと私は考えた。そこで、その人たちを真似て、右手のほうへと足先を向けた。

 電車はゆるゆると発車していった。まばらな人影を追って長いホームを進むうち、改札口が見えてくるどころか、前を歩いていた人が見当たらなくなくなってしまった。ホームの端は境目もないままに、田舎道へと流れていった。

 自然と駅から出てしまった私は、切符を握りしめたまま向きを変えて、駅舎へ戻ろうとした。駅員に訳を話して切符を渡せば、不正乗車ではなかったことを理解してもらえるだろうと思った。
 早速、今来た一本道を行く。だが、さっき歩いてきたはずなのに、覚えのない坂道が待っていた。間もなく急な登坂になる。両脇はうっそうとした林であった。日は傾きかけ、夕日の赤っぽい光が弱々しく山道を照らしていた。

 細い山坂はしだいに傾斜がきつくなり、なにかにつかまらないと登れそうもないほどだった。足もとに藤蔓のようなものが二十センチほどの長さに幾本も生え出ている。枝も葉もない茶色の蔓は、まるでロープの先端のように飛び出していた。私は次々それにつかまりながら、体を引き上げて山道を登っていった。

 斜面の緩やかな所へ出たら、右側にそまつな豚小屋があった。夕日を浴びた豚が八頭ばかり、うたうたと寝そべっていた。私は汗をぬぐうのも忘れ、立ち止まらずに豚小屋の前を通り過ぎた。すると後ろから、動物の息づかいと鼻音が聞こえてきた。振り返ってみたら子豚が一頭、豚小屋から抜け出たらしく、私のほうへと突進してくる。だが、走り方が豚とは違っている。

 イノシシだ! イノシシの子どもだ! 私は自分にぶつかってくるのではないかと身構えた。まさに猪突猛進というように、勢いだけで進んで来たその動物は私の脇をぎりぎりかすめていった。間近で見たら、間違いなくイノシシだった。するとまた一頭、同じくらいの大きさのイノシシが同じように突進してくる。これもきっと同様に、私に体当たりすることはなく脇をかすめていくだけだろうと私はたかをくくった。思った通りに一頭めの後を追うようにして、二頭めも私にぶつからずに突き進んでいった。二頭のイノシシが向かった方角には、今まさに山の稜線に沈みつつある入り日が、はかない色を空に写し出して消え入ろうとしているところだった。


この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?