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なぜ読書の時間を生み出すのは難しいのか。

 読書メーターのキャンペーンでバウチャー(クーポン)をもらいまして、この本を買ってみました。ちなみに、私はAmazonで購入したのではなくBookWalkerというサイトで電子購入しました。

アマゾンでは、社会一般関連諸部門でベストセラー1位になっています。
そして帯に書かれた

「疲れてスマホばかり見てしまうあなたへ」


 このキャッチーな言葉に惹かれて購入を決めたといっても過言ではありません。

 2週間ほどの繁忙期を闘い抜き、ようやく本日、待ちに待った休日を迎えている私。このフレーズ通りの日々を過ごしてしまっていました。

 ちなみに、スマホのスクリーンタイムによると、私は毎日2時間もスマホを見ているようです・・・もっと少ないと思っていましたので反省です。

 実のところ、「読書」をしていないわけではないのです。毎晩のように寝室の読書灯をつけて読み始めるのですが、気が付くと寝落ちしているのです。

百聞は一見に如かず

忙しさと読書量の関係性

 上の画像は、読書メーター上に記された私の読書量です。本をウェブ上で登録することで、読み終わった冊数とページ数が自動的に記録されていきます。記録からもわかるように、

3月は、10冊以上の本を読むことができたのです。

 それと比べて、4月はまだ1冊しか読み終わっていないという状況です。冒頭で紹介した『なぜ働いていると本が読めなくなるのか』を読み終われば、めでたく2冊目となるといった具合です。


 ここからは、「なぜ働いていると本が読めなくなるのか」についての考察を、本を読んでの私見を交えてまとめていきます。

読書にはノイズが伴うから

 著者は、読書はノイズが伴うものであると言及しています。しかし、読書の中でも「自己啓発書」は、ノイズを取り除いてくれるものであるとも語っています。

 確かに、自己啓発の類、例えば直近で私が読んだこちら

 200ページにもいかないこの本は、片付けのハウツーや啓発本としての役割を担っていて、かつ1ページ1ページがメッセージ式で語られているため、大変読みやすいのです。労力0といえるほどです。

 本というより「情報カード」のようなスタイルで、パラパラと絵本のようにめくりながら楽しむことができる1冊でもあります。

読書の位置付けの変遷


 著者は読書の位置付けの変遷を以下のようにまとめていたので紹介します。

エリートの教養⇒エリート+大衆の教養⇒娯楽⇒

そして、今は、ノイズなのです。


一方で・・・

情報は、知りたいことと直結している

 2000年代のインターネット台頭期を経て、我々現代人が、インターネットで情報を得ない日はないのではないでしょうか。

 ちなみに、私が初めてインターネットで情報を得たのは小学校3年生の時です。それまで、本の世界にどっぷりとつかっていた子どもにとって、インターネットは魔法のようなものでした。

 ハリーポッターのハリーが入寮式で、あの帽子を被った時の雰囲気に似ているものがありました。緊張に満ちながらも、胸の高鳴りを感じるような気分だったのを今でも思い出します。

 情報は、読書で得るものとは違い、知りたいことと直結しているのだといいます。読書で得られるものを情報ではなく知識とするならば、読書は
常に、知識とノイズと一組であると、著者は言及しています。

 日本における長時間労働社会の中では、できる限りノイズをそぎ落とした情報を自分の血肉とすることで、生活のバランスを取ることができていたと言えるのではないでしょうか。

仕事を私事(しごと)にするのではなく

私は過去にこのような記事を書きました。

 働きすぎて、燃え尽き症候群(バーン・アウト)になった経験を綴りました。そこでの経験があったからこそ、今の自分がいるとも言えるのですが、もう一度あの経験を体験したいか、と問われればノーと言わざるを得ないのです。

 一時的に没入することはいいことかもしれませんが、それを永遠に繰り返し生活の隅々まで染みわたるほど(著者はこれをトータル・ワークと表現していました。)に頑張る必要はないのです。

読書と言う鉱脈から得るもの

 読書をなぜすべきなのかについてはこちらも合わせてご覧下さい。

 他者の文脈の中でしか得られない価値観や創造性があるのだと私は考えています。

 体内の毛細血管が四方八方に張り巡らされているおかげで、手の先まで暖かく感じるように、私達は仕事以外にも人生の鉱脈を持つべきであると思う。

読書メーターの感想より

 その一つが、読書なのだと断言します。

全身社会から、半身社会への転換として、働きながら本を読める社会を一つの例として著者は私たち読み手に伝えたところで読み終わったのですが、

 ここからは、その問題提起をいかに自分事として見つめ落として、現実のものとしていくかが大切なのだと感じました。


サポートありがとうございます。感謝です。