形骸化と活性化の間で
もう5月なんですね。4月の記憶が薄らぐほど、私は仕事に邁進していました。
完璧主義のプロ意識
そう表現できてしまう状況や背景を大事にしすぎると、周りが見えなくなって、他の人達を傷つけることもあるのだと学んだ4月でした。
仕事に対する情熱は、それこそ人それぞれであり、それぞれであって構わないと思うのですが、平均値から、おそらく上方にはみ出る私は、みんなという枠組みの中ではとてもつらく感じるのです。
多くの人は、(ここから書くことは否定でも肯定でもありません。)適度なところで手を抜いたり、みんながやっていないことであれば、そこに手を出したりしないのだと思います。
形骸化したものは形骸化したもののままで放っておいてもいいと思うのだと感じます。
しかし、形骸化したものを活性化させた時に、その仕事そのものが根となり、水を得た植物のように青々とするならば、やはりそこにテコ入れをすべきだと思ってしまうのです。
誰にも見向きもされなかった仕事は形骸化されていきます。
しかし、何でも「なくしてしまおう、無駄を削ぎ落とそう」主義が台頭していくことは果たして、本当によいのでしょうか。
なくすべき理由ばかりを考える前に、なぜその仕事をすべきだったのかを考えることの方に重きを置くことも時として重要だと思うのです。
それこそが仕事の本質を見極めることに他ならない、と私は強く思っています。
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