主体の現出と、主体の消失ー様々なる意匠の先へー

主体の現出と、主体の消失ー様々なる意匠の先へー

小林秀雄が言った、『様々なる意匠』が、世を満たして月日は流れている。学生時代に読んで、随分勉強になったが、それ故の弊害もあり、何でも様々なる意匠となってくると、もう述べることが無くなって来るのである。

ツイッター(X)、において、自分はこの様に書きました。

世界には、様々な主義、主張、宗教、理論、思想があるけど、全て意匠だから。その時その時で、自己が追い詰められた時、一番負けない意匠を選んで使えば良い、と思ってます。

こういう風にしか、捉えられないという、簡略化された文章になってますが、当然、様々なる意匠を念頭に置けば、こうなる訳です。

しかし、我々は、小林秀雄を越えなければ、未来へは行けません。それで、主体の現出と、主体の消失ー様々なる意匠の先へー、というタイトルにしたのですが、要は、様々なる意匠を使う時に、主体=自己は現出し、様々なる意匠を見る時に、主体=自己は消失する、ということです。様々なる意匠とは、本来、小林秀雄の、見る、という立場から生じたものですが、前者の様々なる意匠を使う、というのは、例を挙げれば、芥川龍之介の、古典の模倣などが、当て嵌まります。

様々なる意匠の先へ、というのは、この、様々なる意匠を使う、という芥川龍之介のやったことの復権を意味します。自殺した芥川龍之介を、テープを巻き戻す様に、生きた状態へと遡及させることが、我々のアイデンティティの復権を意味します。こうなってくると、お勧めとしては、取り敢えずこの世に生まれたからには、様々なる意匠を使って闘いましょう、負けそうなときは、様々なる意匠を見ましょう、その、主体の現出と、主体の消失ヲ、使い分けて、何とか生き延びましょう、という事が言いたかったのです。何れ死ぬにしても、早過ぎる死はもったいないです。小林秀雄の様に、自己が滅茶苦茶になった後、見るのではなく、自己を保った侭、長生きする秘訣として、この、主体の現出と、主体の消失ー様々なる意匠の先へー、を書いてみました。

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