逃げるとは…


逃げるのは、恥か。

大人になった今よくそれを考える。
逃げ癖がつく事と、逃げることに慣れている事には大きな違いがあると思う。

私の両親は厳しかった。
小学校でいじめられて行きたくないと泣く私を毎朝ベッドから叩き起こし、学校を辞めるか俺が相手の家に乗り込むか頑張って行くか選べと父に叱られた。

小学校は辞めるということはできないと当時はわからず、中学にも行けずこのまま学生が終わるというのはまずいと思ったし、乗り込まれて大ごとになるのも仕返しをされるのも怖かったので泣きながらランドセルを背負った。


中学で部活の顧問の行き過ぎた指導で精神的に疲弊した時。
もう退部したい、退部できないのならもう学校に行きたくないと母に打ち明けると、母から話を聞いた父はお前の意思で始めたことだろう。投げ出すのは勝手だが学校に行く行かないを脅しに使うような真似はやめろ、きちんと最後までやり通せと叱った。

共学であるにも関わらず男子生徒との会話は禁止され、携帯から友人の連絡先は削除され毎日怒鳴られ椅子を投げつけられ髪を掴み突き飛ばされたり、ことあるごとにいかに顧問が素晴らしい人かをしたためた手紙を提出させられたりしながらも退部は許されなかった。
部員以外と親しくすると顧問が良い顔をせず、何をされるかわからなかった上に異様な部活の空気を感じ取った同級生からは距離を取られていたので、学校で雑談をするような友人もいなくなった。

退部すると顧問に言いに行くと、泣きながら顧問は私を引き留め今まで悪かった誠意を見せるから明日もう一度話をしに来てくれと言った。

翌日、顧問に会いに行くと男性にしては長かった髪の毛を、丸刈りにしていた。

たかが中学生の部活でたかが1人の部員を引き止めることにそこまでしたことに恐怖を感じ、退部は取り下げた。

結局戻ると言ってからは退部の意思を示したことを理由により攻撃的になった。

母にもう一度話し、さすがにと思ってくれたのか母が顧問と話をする事態になった。
ただ、部活を辞めたいだけなのに、どこにでもある誰にでもある話なのに、学校中が大ごとになった。

ようやく退部は認められたものの、顧問を神と慕っていた部員たちからは総攻撃に遭い、無視をされ、OGや顧問たちが私の携帯に連絡してくるばかりの毎日になった。

携帯の留守番電話にまでお前がいないなんて考えられないと情けない声で吹き込んできた顧問の声を聞いた時の恐怖は一生忘れない。

ひとりぼっちになってからも、両親は泣き言を許さなかった。
私は毎日学校へ行った。

逃げるのも、弱音を吐くことも、悪なのだと知った。
早く自立し親元を離れろ、自分のことは全部自分でやれ。それが父の口癖だった。

生きるというのは、ひとりで頑張らないと、いけないのだと思った。


高校でも、卒業してからも、社会人になってからも、いろんなことがあった。
その度に幼少期を思い出して立ち向かっていった。
しっかりしてないといけない、弱音を吐かない、どんなに辛くても辞めてはいけない。

駄目な子だと思われてはいけない。

この思考は恋愛にも影響した。
恋人が世界の中心となってしまい、依存するようになっていた。好きでいてほしい、認めてほしいという思いが強くなり、別れ話のたびに私は大暴走した。

恋人とうまく行かないことで、私そのものが駄目な人間なのだと烙印を押される気になっていた。

仕事も、恋愛も、いろんなことに立ち向かっていった。
自分にその時できることは全部やった。疲れ果てていた。

転職して、うまく行かなくなって、一気に心が折れた。
うまく行かなかったことは大したことではなかったし、誰も悪くなかったのだけど、多分、多分だけど人生でぽとぽとと溜まっていた辛いの最後の一滴が落ちて、私というコップから溢れ出たんだと思う。

何もかももう駄目だと思った。仕事に行きたくない、でも逃げるのは許されないのなら、死ぬしか方法がないと本気で考えた。

なんでだろう?そんなのおかしいよね?

ふと冷静になった瞬間に助けられ、結局クリニックを受診したところうつ病だと診断された。
正直、診断されてからの一ヶ月くらいは記憶がない。
何もできなかったししていなかったから特に記憶に残すことがないだけかもしれないけど、風景にもやがかかっているみたいに何も鮮明じゃない。
夫や母に言われてああそんなこともあったかもしれないと思うことばかりだった。

あれよあれよという間に休職になったけれど、それもいまいち経緯が思い出せない。
人事と話すのが精一杯で所属している部署にも休職しますと連絡できなかった。

気づいたら時間が経っていた。


少しずつ回復して、調子の良い時が増えた時、こんなはずじゃなかったなとどうしてこんなことになってるんだろうと他人事のようにぼんやりと思う。

その時、なんとなく、逃げる練習を積んでおくべきだったなと結論が出る。
別に両親を恨んでもないし、大好きだし、しょっちゅうラインするくらい仲が良い。
両親の教育のおかげだと思うこともたくさんあるし、自分がもし親になったら引き継ぎたいという教えばかりだ。

でも、もう少し、あとちょっとだけ私の逃げ場であって欲しかったなと思う。
大変だね、辛いねと言ってくれるだけでもよかった。

頑張れない私も、認めて欲しかった。

正直うつ病だと言われた時、両親にも夫にも言えないと思った。
駄目なやつだ、甘えるなと叱られるかと思ったから。


結局そんなことはなかったし、両親も夫もサポートしてくれた。

安心したのと同時に、同じ気持ちを昔の私にも味わってもらいたかった。
反面、自分のどうしようもない性格を考えるとまああそこで逃げるのを許されていたら私の場合は逃げ癖がついて何も続かない人間になった気もするから両親は正しかったなとも思うのだけれど。

でも、逃げてもいい、生きるのが大事だよ。
そもそも、逃げるという言葉もなんとなく違うかも。
その行動はそんなネガティブな言葉で表すものじゃない気もする。

今、辛いことに直面してどうにもならなくなっている人に伝えたい。
逃げるのは恥じゃないし、逃げても大丈夫。

よく仕事ができる人は適度にサボってるなんて言うけど、それと同じで、うまく生きている人はきっと上手いこと色んなことかわしているんだと思う。

私みたいに逃げるのが下手くそだと、ここまで事が大きくならないと逃げられなかったし結果的に失うものが多くなった。

みんな、適度なところで逃げようね。

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