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子育てを振り返って

長女が結婚して、子育てを振り返ってみました。気持ちを整理するために少し文章にしようと思います。
娘はかなり育てにくい子供でした。
出産後、家に帰ってから、小学校に上がる前まで毎日夜泣きをしていました。
感受性が豊かなのよ~とママ友には慰められましたが、私は毎夜抱っこしてベランダや社宅の庭に出て落ち着かせるのが辛かったです。
赤ちゃんの時は寝るか泣くかのどちらかで、常に抱っこしていました。
幼稚園も行くのが嫌で10月まで泣いていました。
園長先生がずっと抱っこしていたと聞いています。

いろんなこだわりが強く、自分の思い通りにならなかったり、小さなことで驚いたり、眠かったり、かゆかったり、痛かったり、暑かったり、あらゆることで常に泣いていました。
マンホールのふたを踏まなかったから泣く、下着のタグがかゆくて泣く、靴下の縫い目が気持ち悪くて泣く、線の上に机が置いてなかったから泣く、朝起きて自分がセーラームーンでないことに泣く、自動販売機を見たかったのに通り過ぎたから泣く、男の子がほっぺにチュッとしたら気持ちが悪くなって大泣き、私が電話をしたり近所の人と話し出すと泣く、なんかわからないけどとりあえず泣く、泣きすぎて吐いて更に泣く、そのたびに抱っこして安心させて、時には一緒に泣いたりしていました。

今もですが、娘は友達はいらないというタイプです。
幼いころから一人で遊ぶのが好きでしたが、話題や視点、会話が面白いので友達が寄ってきます。
しかし一瞬でも嫌だと思ったら速攻に切ります。
幼い時からの友達はいません。
年賀状ももらっても返したこともないです。
こんな人間なので結婚はできないと思っていました。

小学校に入って急に夜泣きがおさまったのは、学校の図書館の影響もあるかなと思います。
自分で面白そうな本を選んで借りますが、最初に借りたのが「よぶこ鳥」
最後悲しい結末で、娘は泣きながら読んでいました。
それまで、悲しい結末の本は読んでこなかったので、そこで娘の世界は広がったと思います。
とにかく娘は本が大好きで、友達が遊びに来ても自分は本を読んでいました。
しかたなく私は友達と遊んであげました。
当時の娘では言葉ではいいあらわせない感情がうまく文章として表現されて、それが娘にとって気持ちを安定させたのだと思います。
そのうち言葉でもうまく表現できない感情は、ピアノなど音楽的なもので自分でも表現できるようになり、感情があふれて泣くということも少なくなりました。

大学に入り、カエルなどの解剖が辛すぎて大泣きしてできなくて3年から選ぶ学部に制限が出てきました。
気持ち悪いのではなく、かわいそう、なんだそうです。
こんな自分、将来の目標も定まっていない自分が「実験」と称して、何も知らないで丸い目をパチクリさせているカエルの命を左右することが恐ろしいと言っていました。
チューター?が半分くらいやってくれたそうです。
3年次、入学当初ぼんやりと考えていた学部とは違う学部を選択しました。

先天的な物だと思いますが、異常なほど人の名前と顔を一致させることができず、友達もいらないし、人間に興味がないのかな、将来が心配と思うこともありました。
今も人の顔は毎日会っている人でも3日見なかったら思い出せないと言います。顔でなく髪型とか声や雰囲気で覚えるそうです。
そして表情も読み取れず、怒っている顔なのか悲しんでいる顔なのか区別がつかないそうです。
たぶん何かの病名がつくと思います。
発達障害とか最近は増えているそうですが、娘は自分は当てはまるだろうなと言っています。
しかし特性に合った仕事はあるもので、コミュニケーション能力がなくても、レポートが書けて、人に説明ができればなんとかなっているみたいです。

娘が発達障害なのかどうかはわかりませんが、今子育てが辛い、投げ出したい、生んだことを後悔とか、自分の人生終わったとか、やまない雨はないとか言われても、それって天気の話だろって思っている人がいるとしたら、育てにくい子に当たったんだと認めるしかないかなって思います(笑)
その分独特の個性があります。
その子の興味のあることを一緒に面白がったりしているうちに勝手に世界を広げて、いつのまにか手の届かないところに行ってしまうのかなって思います。よぶこ鳥のように。
私もマンホールや鳥に詳しくなったり、ポケモンを何百匹も覚えたり、浜田広介にはまって山形まで行ったり、ドビュッシーやラヴェルにはまってピアノも買い替えるし、星を見るために夕食後いきなり八ヶ岳方面に行ったり、子供がいなかったらやらなかったこと、知りえなかったことを学べたことは良かったと思います。
私は仕方なく付き合ったのではなくて、次から次へ移り変わる娘の興味の対象を自分も本気で楽しんでいました。
私は全力で子供に付き合わざるを得なかったのですが、鬼のように手をかけても子どもって、すっと離れていくんだなと今思っています。
感謝、するわけない、したらいけない、当たり前なんだから、その方が親も心置きなく手を離せる、辛いことも多かったけど、その分よい思い出も人一倍くれた、と私はとても感謝しています。
今まで通りやりたいことをやって生きていってほしい、人間としてここにいられるのはこれで終わりなんで。

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