幸せを感じにくい自分を自覚したら幸せがみえてきた
こんばんは!
今日は私が執着していた幸せについて考えたことを書いていきたいと思います。
私が最近思わなくなったことである
〝幸せになりたい〟
数年前までは人生の中で言い続けていた口癖で、
幸せになる!幸せになりたい!幸せになろうね!等とよく言っていました。
最近言わなくなったのが何故かというと、私の場合、
①どんな状況下でも〝幸せを感じにくい人間なんだ〟ということを心から自覚したから
②今の生活にあまり不満がなくなったから
だと思います。
自分がそういう人間なんだということに気づかず、幸せを追い求めていた時期は、
具体的な自分にとっての幸せの状態もよくわからない中で、とにかくあれやこれやと幸せを追求していました。
・もっとお金が手に入ればもっと幸せになれる
・彼ができたら幸せに違いない 等
また、どんな状況下に置かれていても、
更なる上をみて、もっと幸せになりたいと願ったり、
他人と比べて悔しがり、私もこうなれれば幸せに違いないと思ったり。
最早悩みのない時期でさえ、退屈すぎて幸せじゃないなどと思っていたのです。
とにかく幸せというものがこの手に入るものだと考えて今よりももっとこうなればきっと幸せになれるんだ!と考えていました。
一方で、自分はもう幸せなんだと無理矢理自分に言い聞かせるということもやっていました。
今ある幸せに目を向けることが大事!みたいな記事をネットで見つけ、
私は、美味しいものを食べている時間がある、衣食住が安定している、好きな人と一緒に過ごす時間があるなどと考えました。
でもそこに感謝はあっても、=私幸せ!とは中々なれず、自分に無理矢理、自分は幸せなんだと言い聞かせているようでなんかしっくりきませんでした。大事なことに気づけたようで、実感ができない。
そんなことをしている間に、
〝自分って多分、幸せなことに幸せを感じにくい人間なんだな〟
というところに辿りつきました。
というか、幸せってもしかしたら、その幸せが通り過ぎてから、振り返った時に、あの時幸せだったなと気づくものなのかもしれない、と。
そう思うとなんだかしっくりきて、少し楽になりました。
そうか。自分は日常に幸せが紛れ込んでいても、中々それを受け取りにくいのか。そして、幸せって感じにくいけど、確かに自分の日常に紛れ込んでいるんだなあと思うようになりました。
それからなんとなく、〝幸せの追求〟から解放されました。同時に、無理矢理にではなく自然と、今ある幸せにも目がいくようになり、大事にしたいと感じました。
なんだか追い求めているものって、執着すればする程、逃げていくように出来ているんですかね。
幸せへの執着がなくなり、〝自分は幸せを感じにくい人間なんだ〟と自覚してからは、
今の自分への不満もやわらぎ、自然と、幸せだなあ〜と感じれるようになってきた気がします。
完全に自分の例ですが、同じような人もいるのでしょうか?
みなさんはどんな時に幸せを感じますか?
反応いただけると嬉しいです!
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