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恒例行事 河豚の鰭酒

#いい時間とお酒 #エッセイ #ほろ酔い文学 #本日の短歌 #自由律俳句

 これは、事情があって私が祖父の屋敷(家)に預けられてからできた、家族の恒例の行事の話です。

 当時は父上と母上とも離れて、父方の祖父、道成寺善光(ぜんこう)のもとに預けられ、屋敷の中でぼんやりと過ごすことしかできませんでした。
 私は鬱になっていて誰かと話すというのが嫌になっていた時期でもありました。

 祖父はというと人付き合いが苦手で、ましてや女の子を育てたことがないので戸惑っていたと思います。
それでも「屋敷の中で自由に過ごして良い、見たければアルバムも全部見ていいぞ?天白(たかしろ:父)と白臣(きよおみ:叔父)の子供の頃や、若い頃の千椿子お祖母ちゃん(ちえこ:祖母)の写真だってあるぞ?」と話しかけて沢山のアルバムを沢山持ってきました。
 ひとりで過ごすことが多かったため、気を使ってくれたのでしょう。

 夕飯を一緒に食べた時にふと祖父が聞いてきました。
「ところで夜香ちゃんはお酒飲めるのか?」
「飲めますよ?二十歳はとっくに過ぎてるし、仕事で飲むことも多かったので、日本酒だっていけますよ」
そう話すと、祖父の目は輝いて「お~そうかそうか!じゃあ私の行きつけの飲み屋に連れて行ってやろう!純米大吟醸、飲ましてやるぞ~」と元気になりました。

 祖父の夢は、父と叔父と男三人で酒飲んで楽しむことでした。
ところが、父は酒一杯で伸びて寝て動けないくらい弱く、叔父は「僕は飲めないから・・・」と盃に手をつけませんでした。
祖父の男の夢はここでガラガラと崩れたのでした。
 しかし、男の夢は叶いませんでしたが、孫と酒が飲めるという別の夢が叶ったことになりました。

 寒い冬のある日、祖父が「お~い、河豚食べにいくぞ?」と誘われて、祖父の行きつけの居酒屋に一緒に付き合って飲みに行くことになりました。
 敷居の高い居酒屋に来て、食べるのは実を言うと3回目。
1回目は鯛料理と日本酒で、2回目は鱧料理と日本酒でした。
恒例の行事になったのは3回目の河豚料理と河豚の鰭酒でした。
祖父は「好き嫌いせずに食べてみろ、道成寺家は出されたものは食べなければならん」と言いました。
ちなみに私はかなりの偏食でした。

 さて、河豚料理が出てきた時、私は「これなんだろう?」と聞きながら口にしました。
衝撃受けた前菜は河豚の煮凝りでコリコリの皮と御出汁の味が一気に蕩けて胃の中に入って行くのを感じました。
「美味しいこの煮凝り」
「お~そういうのが好きなのかぁ~」
「うん、初めて食べたけどとても美味しい・・・」
 次に来たのは河豚の刺身で、雪のように白く、透けるような白い花のようで見た目から美しかったのです。
味は何もしないけれど、ポン酢につけて口に運べば、雪のようにあっいうまに消えたと感じるようにでした。

 そして、祖父が事前に頼んだ河豚の鰭酒が参りました。
湯飲みの器に陶器の蓋には河豚の絵が描いてあり、女性店員がマッチを持ち、火をつけると蓋を少し開けて近づけました。
ポンッという音と同時に蓋を閉め、「熱いのでお気をつけてください」と言いました。
 私と祖父は蓋を開けるとまず飛び込んできたのは酒の香と独特な匂い、中を覗くと河豚の鰭が2枚入っていました。
「これ美味いんだぞ?」
「・・・いただきます」
 口にすると暖かいお酒に炙った河豚の鰭の香りと味に「今まで飲んできたどの酒でも群を抜いて美味い!河豚が1位に輝いた!」と口にしていました。
試しに鰭もひとかじりじてみるとお酒がジュワっと流れてきました。
これもまたとても美味しいとさらに一押しされたようでした。
祖父は「美味いだろう?よし、いけたら2杯目ももらおう」と一緒に「美味い美味い」と食事も楽しみ、酒も楽しむ良い時を過ごしました。

 いつのまにか、私と祖父は河豚の鰭酒の虜になっていました。

 それから、私だけでなく父上と母上も巻き込み、冬の河豚料理は家族4人で河豚の鰭酒を飲んで楽しむようになりました。
 しかし、今の所、祖父とさしでの酒飲みに付き合えるのは私しかおらず、父が寝てもお構いなしになりました。
それでも、家族そろっての河豚の鰭酒もとても美味しいのですが、祖父と飲む河豚の鰭酒は別の意味でまた美味しいものなのです。
 一方、私のいとこの美胡子(みここ)は、「いつか私もお祖父ちゃんと一緒にお酒飲む!」と言ってました。

「じゃあ、早く大人になって、お祖父ちゃんにはもっと元気に長生きしてもらいましょう」と笑いました。

 そして、今年でその恒例行事が8年目を迎えることになりました。

 冬の月 河豚の鰭酒 口にして 春訪れて 極楽の園

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