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空白の学校を歩く スクールカウンセラーがコロナ禍で考えたこと ②

みんな不登校?

2020年春、新型コロナウィルス感染拡大で日本中の学校が休校となった。
史上はじめての「学校の空白」は、その年の夏まで続くことになった。
授業も行事もなくなり、子どもたちの姿を見ることもなくなった。

空っぽになった学校で、スクールカウンセラー(sc)は呆然としていた。
SCのおもな仕事は学校に来られない子たちの援助だ。
今はすべての生徒が学校に来ていない。
みんな不登校・・・?。
いや、自宅学習ということになっているから登校扱いになっているはず。
すると不登校がいなくなったということだろうか?
「不登校ゼロ」がこんなかたちで実現するなんて。
皮肉なことだ。

そういう状況で、SCは何ができるのだろう?
会えない中で、心を支えるとはどんなことなんだろう?

カウンセリングは、基本、会って話を聞くものだ。
その場で互いに心を寄せあいながら、気持ちを語ってもらう。
それができなくなった。
SCがいる意味がなくなったように感じた。
しかし、学校はなくても、困っている子どもたちはおおぜいいる。
その心に届くようになんとかしたい。
会えない中でも、できるだけのことをしよう。

気になる子とは電話でのやりとり。保護者のカウンセリングの再開など。
そして、学校が再スタートすることで起こるさまざまな不安や混乱への対策。
手探りでSCの仕事を再開することにした。

コロナ禍の影響と学校

一方でコロナ休校の影響が広がっていた。
子どもたちは学校にも外へも行けないまま、勉強も教えてもらえない。
ときどき登校はできても、プリントや教材を渡されて「家で自習してください」と言われて、すぐに帰される。
自宅学習は家庭の責任ということになってしまった。親たちは困惑しただろう。

子どもたちは学校で一日の多くを過ごす。そこで学び、人と付き合い、食事をしたり、いろいろな活動をする。
学習、行事、部活動など。集団を基本にリアルな体験を前提にしている。
そこに子どもたちみんなが居る、という前提で成り立っていた。
学校が空っぽになったことで、世の中が学校について考えるようになった。

オンライン授業で見えたこと

にわかに、学校でもオンライン授業の導入が言われはじめた。
しかし多くの公立の学校では設備が不十分だった。
教師たちは機器のあつかいに不慣れ。
家庭によってもネット環境で対応に差が出てしまう。
現実に学校現場の支援が追い付かない。
結局、この経験からGIGAスクール構想が出てきて、全生徒にタブレットを配布するということになったのだが。
私は、この混乱を見ていて思うことがあったのだ。
実は、日本でも以前からデジタル学習を普及させようという動きはあった。
学校に来られない子どもたちの「学ぶ権利」を保障するために、家でもオンライン授業を受けられるようにしてほしいという声が上がっていた。

ただ結局、多くの公立学校では実現できないままだった。
日本のデジタル教育が立ち遅れた理由はいろいろあるだろう。
しかし私は、ある校長が言ったことが忘れられない。
「オンラインで授業が可能になると、子どもがますます学校に行かなくなる。不登校が増えるだけだ。かえって悪影響が出てしまう。」

学校に来なければ勉強は教えられないという、強い思いこみを感じた。

みんなが教室できちんと並び、黒板に書かれた字をノートにうつす勉強。
みんなが一列に並んで移動したり、グループで行動する集団活動。
それが教育というものだという思いこみ。

それこそがデジタル教育をはばむ壁ではなかっただろうか?

こう考えている人たちもいるかもしれない。。
「みんな学校に行って、みんなと一緒に勉強をするのがあたりまえ。それができない子どもに問題がある。」
そういう環境にあわなかったり、ついていけなくなった子どもたちは「不登校」や「学校不適応」という言い方をされてしまう。
しかし、彼らは病気でも異状でもない。
ただ「みんなと同じように学校に居られなかった」にすぎない。

もっと真剣に、そうした子どもたちのことを考えていたら?
「学校に行けない子どもたちにも勉強できる機会を作ってあげよう」という声が取り上げられていたら?
コロナ禍のオンライン授業の移行もスムーズにできていたのかもしれない。

私は空っぽの学校の中でそんなことを考えていた。


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