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ドサクサ日記 3/28-4/3 2022

28日。
ネットがざわざわしていたので、アカデミー賞の授賞式の映像を見た。ウィル・スミスがクリス・ロックを張り倒していた。暴力が支配する社会は地獄だ。腕力が強いやつから意見が通る社会では、映画も芸術もバンドも多分、干からびて死ぬ。グッと堪えてこそだと思う。でも、俺が彼の立場だったら、同じような失敗をしたかもしれないと思う。もっと怒ってしまったかもしれない。ウィットに富んだ切り返しなんて咄嗟には思い付かず、靴や椅子を投げつけたかもしれない。そうした野蛮さがはっきりと身の内にあって、克服できないでいる。ウィル・スミスは恐らく、「なんてことをしたんだ」と後悔していると思う。俺は殴った本人ではないので後悔はしていないが、彼を責めるのではなく彼と同じ場所から自分のことを省みたい。怒りに任せずユーモアで切り返すような、本当の勇敢さや知性に憧れる。

29日。
ラジオや取材で話した言葉を書き起こしてもらったものを読み返すと、自分がいかに無茶苦茶な文法で話しているのかがわかって凹む。話しているときは音声があるのでニュアンスが伝わる。倒置に次ぐ倒置と擬音語でメタメタになった話法でも、音がその場の空気が埋め合わせてくれることがある。しかし、文章になって音が引き剥がされたものはメタメタ支離滅裂で、その愚鈍さに脱力してしまう。

30日。
10枚目のアルバム、プラネットフォークスが発売になった。これまで作ったアルバムのなかで、もっとも自分が何を成し遂げたのかよくわからない作品になった。ただ、とにかく、スタジオでひとり鳥肌を立てたり、半泣きになったり、心がいろいろな形で震えた瞬間を集めることはできたと思う。必要とする誰かに届くことを願う。協力してくれた仲間たちのことは別のマガジンで書くつもりだ。

31日。
コロナ禍になってから気分転換に釜飯を何杯も炊き続けている。当たり前だが、炊き続けたものは食べ続けないといけない。毎日炭水化物を過剰に摂取しているとどうなるか。太るのである。そうした単純明快な生命のシステムと基礎代謝の鈍りが掛け合わさるとどうなるのか。思ったより太るのである。ただ、そうは言っても中肉の範囲は出ていない。世の中の側の太りに対するジャッジが厳しいだけだ。

4月1日
年度の初めというか、年度末という制度はいろいろな気持ちを切り替えたり、生活習慣を改めるためのきっかけとして使えて重宝している。例えば「今年はお酒を控える」みたいな決意を年末にした場合、元旦もしくは三が日の間に我慢ができなくなってしまう。正月くらいはいいかなと思ってしまう。正月は誰もを自分に甘くさせる変な力がある。財布の紐の締まりも甘くする。年度の始まりは逆。

2日。
近所の桜がガッツリ咲いていてとても美しい。ただ、花を見ながら野外で宴会をしたいという気持ちにはならない。若いころに何度か参加したが、何度参加してもこの時期の夜の野外は寒すぎて辛かった。早く居酒屋などの屋内施設に行きたい、そういう気持ちにしかならなかった。川縁や公園で飲むビールはどこか温い。高価なワインや日本酒も決定的に何かが足らない。弁当だけはなぜか美味しく感じる。

3日。
春は出会いや別れの季節と言われているが、ここまで通信機械が発達すると「卒業しても会えるよね」ということになる。そうなると世の中の別れの歌のいくつかは役割を終える、もしくは感興の中心がズレるのかもしれない。ただ、「さらば、友よ」だなんて歌うときに思うのは、今も昔も、話したこともないような関わりの薄いクラスメイトたちの漠然としたイメージなのかもしれないと思った。