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伝わらない100万回の愛してる

100万回の愛してるよりも1度ぎゅっと抱きしめた方が早いだろう。とAqua Timezも歌っているけれどきっと本当にそうなのだろう。

むかし本当に100万回愛してると言うには何年かかるのかを本気で計算して「これはむしろぎゅっと抱きしめるより愛情がないと無理だぞ…」というブログを書いた。

それはそれで面白かったのだけど、やはり触覚や体温から入ってくる情報はどんな言葉も飛び越えて心にダイレクトに届くのだなあと改めて考えると思う。

言葉は思っているよりも頼りない。


深夜に甘いものが食べたくなってファミマに行く。ジャイアントコーンを見てもツイストサンドドーナツ(カスタード&ホイップ)を見ても何かが違う。

店内をウロウロしても結局ピンとくるものがなく、コスパでアルフォートを買って帰って惰性で食べてみるけどやっぱり何かが違う。

一体僕は何が食べたかったのだろうか。もしかしたら欲しかったのは食べ物ではなかった可能性もある。

人は自分の感情さえも予想以上に言葉にできない。

泣きたいのに笑ったり、我慢したいのにやってしまったり、優しくしたいのに傷つけたり、この心はどうなっているのだろうという疑問だらけだ。

そういう時は決まって涙が出ない。


人と話したり歌詞を書いていると解けなかったパズルが急にスルスルと解け出すみたいに考えていたことが言葉になって溢れ出してくることがある。

ちはやふるとか3月のライオンを見ていると実は思っていたことや言ってほしかった言葉が不意に出てくることがある。

同時に涙が止まらなくなる。

言葉は心の代わりにはなれないけれど心の形を確かめることができる。

だからたくさん言葉にしたい。歌詞を書き、noteだって書く。だけど使われてしまってはいけないなと思う。

心があって行動があって、その先に言葉だ。言わない方が伝わるものは、心か行動が足りていない状態なのかもしれない。

想いがあり一生懸命動いていれば、言葉はきっと強い味方になってくれるはずなのだ。僕は言葉に寄りすぎることが多いから気をつけていかねばならない。

ぎゅっと抱きしめないで言う100万回の愛してるはきっと伝わらないのだろうから。

[この記事の元になったツイート]


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