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根無し草

国や地域に愛着がないのは以前からだ。
外国語の学習をしているのだから、外国贔屓なんでしょ?というわけでもない。
私は、おそらくどんなところに行っても住めば都とはならないと思う。
街中で障害者の存在が想定されていなかったり、迷惑がられたりすることからくる疎外感のせいもあるだろう。


2つ以上のルーツを持つ「ハーフ」もしくは「ダブル」と呼ばれる人たちが経験する「アイデンティティ・クラッシュ」のようなものも私の中にある。
障害者の集団の中にいるのは何か違う、かといって健常者の中にいるのもやはり違う。


疎外感や孤独感は強いものの、「集団欲求」というものが私にはない。

コロナ禍前の数年間、ずっとお世話になっているクライアントに社員として雇っていただいた。待遇はフリーランスの時と同じであったし、会社員という身分を得ただけで何も変わらなかったが、何故だか束縛感を感じていた。
コロナ禍真っ最中の時に、会社員としては解雇となったが、相変わらず同じ待遇で使っていただいている今、その「会社員」という冠がないだけなのに、この身分がとても気楽で心地よい。

私はどうやら集団に属することや、チークワーク的なことが苦手なようだ。
自分の意見やペースを押し付けてはいけないと思っているし、相手を尊重して事を成していくことは重んじている。自分のやり方が最適ではないということもわかっているのに、「私ならこうする」が心の中で優先されてしまう。それがだんだんと窮屈に感じられる。
そのうち余計な口を挟むか、不満をグツグツ煮えたぎらせながら最後に爆発するか、いずれにしてもその先には自己嫌悪が待っている。

だから多分、ひとりでやっていく方が楽なのだ。
最近の自分自身を観察していて、それがとてもよくわかる。
どこにも属さず、自分で決断し、自分で責任を取る。
孤独だが、私にはその方が心地良い。
私は根無し草で良い。

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