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沈黙の鬼

物事を平らにし、ひとまとめに括って語ることは、あまりに良いことではないかもしれないが、日本人は相対的に人とあまり話をしない「沈黙の文化」であるように思う。それを象徴しているかのように、電車に乗ると乗客は皆スマホで何かをしている。知らない人と突然お喋りを始めるなんていう光景はまずないだろう。

”繋がり”とか”絆”とかいう割に、近所とあまり関りを持たないし、黙って買い物ができる。
特にコロナ禍以降、IT技術の進化も手伝って、我々日本人は他者との薄い関係を良しとしているところがないだろうか。「薄い」とは「希薄」と言い換えられるが、そんなに立派なものでなく、文字通り薄っぺらいもので、それぞれが傷つきたくないあまりに、他者と関わることを放棄し、上っ面だけのものに思える。

『あちらにいる鬼』という映画を観た。
配信サイトで別の連ドラを観ていた時にお勧めとして上がってきていたもので、サムネイルがずっと気になっていたのだ。
そのサムネイルを見れば、だいたい何の話かがわかる。瀬戸内寂聴と作家の井上光晴、その妻の3人の関係を描いた作品である。原作は井上と妻の子、井上荒野。
フィクションの体をとってはいるものの、私が知る瀬戸内寂聴の半生がほぼそのまま書かれているような内容だ。

夫と子供がありながら愛人と駆け落ちし、女性関係にだらしのない小説家・篤郎と不倫し続け、仕返しをするように他の男とも夜を共にする主人公・みはる。ダメな男と知りつつ、別れようとしても別れられない彼女は出家する。妻・笙子は尼僧となったみはるを自宅に招き、篤郎が病で危篤になればみはるを病院に呼び寄せ一緒に見送る。

映画の中で、みはると篤郎が出会ったのは学生運動が盛んな時代であった。その学生たちも、みはるも篤郎も笙子も、みんな信念を貫いていたのだ。
その信念の為に傷つくことを恐れず、傷つけることも恐れない、濃密な人間関係がそこにあった。

芸能人が不倫しただの、政治家が不倫しただの、現代の私たちは不倫を面白おかしく断罪し、この映画にも共感したというレビューは少ないが、3人の自由で、独立していて、命を燃やすような濃い人間関係を、私はどこかで羨ましくも思う。
不倫を賛美する気はひとつもないが、人との会話が苦痛だとか、電話に出るのが苦痛だとか、できるだけ人と関わらず、コンビニでひと言も発せずにモノを買っていくような令和を生きる私たちには、そんな生き方はできないのではないか。
現代の鬼はきっと沈黙の鬼だ。

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