福岡で飲食店をする 1

群馬の富士重工のお膝元、車所有率は日本で1番の田舎町で育ったわたし。
外食と言えば、すかいらーくや地元のチェーンフライングガーデンのハンバーグ、マクドナルド、モスバーガー、焼肉、イオンのフードコート、珈琲館でホットケーキ。
地元に住む友人は、お酒を飲まない。
なぜなら外食に車でないと行けないからである。

数学が壊滅的にできなかった癖に、英語も頭をかかえるレベルだったので、
国立大学などもちろん目指せないが
地元では(一応)1番な進学校に通っていたため、
なんとか大学に進学した。
実家から通える私立大学には全く惹かれず、
とにかく自分の学力でいける1番マシな大学に進学した。
それが東京であった。
18になりたての小娘だった。

東京は刺激的で、暴力的で、人は多いが孤独でもあって、流動的にいろんなことが移り変わって、
それでもなんでだかわからないくらい魅力的な街だった。

お酒を失敗しながらなんとか覚えて、
飲食店でバイトをしながら遊びに興じて
海外旅行にも行った。

リーマンショック直後の就活を舐め腐っていたわたしは全く努力をせず、
落ちまくった挙句に卒業目前でなんだか訳わからない小さな会社に就職した。

当時付き合っていた彼と暮らし始めて、
新しい社会人に必死に食らいついてみたものの、
サービス残業当たり前、24日間連勤、下手したら泊まり込みの会社はいつしか死にそうな気持ちになったので3年我慢してから辞めた。

生活するために学生時代にバイトしていたビールのお店でまたバイトをさせてもらうようになった。
久々に戻ったら、日本のクラフトビールを扱うお店になっていた。
一度社会人を経験したら、きちんと仕事をしようと思えた。(根は真面目なため)
お客さんからの質問に答えられないことが恥ずかしく思えてきた。
クラフトビールを学び始めたきっかけだった。
(今はそのお店はもうない。)

続く↩️


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