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Ironman Copenhagen 2023 レースレポート

2023年8月20日に開催されたIronman Copenhagenに参加した。目標としていたサブ9は達成できなかった。
感想面が多くレポートというのかわからない長文駄文をお許しいただきたい。

・Ironman Copenhagenに参加した理由

2022年の夏からIronmanでサブ9を達成することを目標にトレーニングを積んだ。目標達成するにあたってタイムが出やすいコースであることは必須であった。本来はHamburgの参加を視野に入れていたが売り切れてしまったためTallinかCopenhagenを候補とすることとした。Copenhagenは大会の雰囲気もよく気温は高くなく(最高気温21℃)歴代のタイムもかなり出ているため、レベルの高さを考慮しても悪くないだろうということから選択した。

・レースに向けてのトレーニングを含めた準備について

あまりに仔細になってしまうため今後記事にする予定である。

・Copenhagen入り後の生活

現地時間の水曜日朝にCopenhagenに到着し、水木金とウェットスーツでスイムを行った。自分の場合は入国後ですら頻度を上げるだけで伸びしろがあると考えたからだ。金曜にはコースも試泳でき泳ぎやすさを感じていた。木曜にバイクの周回コースを確認(68km)。周回コースは農道だったため路面によるパンクリスクが心配だったが想定よりかなりきれいで流石高速コースたるゆえんを感じた。その帰りに市街地の路面の粗い部分をチェック。ここは慎重に走ることが吉だ。金曜にラン周回コースのJog(10.6km)を行い、路面の硬さと石畳がやや懸念となったが概ねフラット、日差しは強いものの気温も高すぎず、何よりランまで行ったらなるようにしかならないという気持ちで予習を終えた。


試走は電車も併用して

・レース前日

レース前日の土曜はゆったり過ごしながらレースペースのランニング1km(4'10-15)を2,3本。バイクの機材チェックをしてufodripを更に塗布。トランジバッグを預けて終了。18時台にはうどん2.5玉と味噌汁、サラダチキンみたいなもの、オレンジジュースを食べて21時頃には就寝。レース前はあまり寝られないことも多いが、今回は寝付きがよくすぐに2時間まとまって寝ることができた。その後は暗い中で寝たり起きたりしながらゴロゴロと過ごした。


バイクチェックインも抜かりなく

・レース開始まで

Copenhagenに到着する前からほぼ毎日天気予報サイトとにらめっこしていた。それも10箇所くらいのサイトから信頼の高いものを抽出するほどの執着だ。気温、風向き、風速、天気。自分ではコントロールできないものだが知っておくことで特にランのペースとバイクのレースコントロールが大きく変わる。土曜の時点で日曜未明に大雨雷注意報が発令された。朝には止むようだがやはり路面が気になる。序盤区間はそれこそ慎重にいかねばならない。
朝4時に起床しうどん1.5玉と切り餅2個を味噌汁に入れ食べる。個人的に餅やうどん、赤飯との相性がいいのでここは固定だ。朝7時のレース開始に向けてバイクチェック、サイコン装着。空気圧は問題なさそう。雨で流れた分のufodripはおまけ程度に上塗りした。

目標は絶対にサブ9
練習内容からは
スイム62-66分
T1 3分45秒
バイク4時間29-35分
T2 2分45秒
ラン2時間59分-3時間15分
かなりうまく行けば8時間30分台までは視野に入りそうだったので、守りに入りすぎないような段階的な目標設定にもした。


人事は尽くした。天命を待つ

Swim 3.8km 60'26

人工的な入り江の中を1周回するコース。波や流れはなく、水温は20.4℃。これはCopenhagenでは史上最高だ。6秒ごとに6人ずつのローリングスタート。登録の時点で一番速いスイムグループ(60分以内:赤、金キャップ)に申し込み、できるだけ前からのスタートを心がけた。10番目のスタートだったが、周りがとにかくデカい。デンマーク人やドイツ人は大きい人が多いのだが、更にスイムが得意な人となると180cm台中盤がゴロゴロしてて埋もれてしまう。しかし流石に速い人達で水質も良いためバトルになることはほぼなく、大きい身体の斜め後ろにつけて流れを利用しながらほぼヘッドアップせずに泳げる区間も多かった。トライスーツの上を着たまま泳ぐのは肩が少し窮屈でペースはあまり上がってないのではと思ったが、後半になっても赤キャップが周りに多く、次のグループのオレンジキャップがポツポツ見える程度。スイムアップした時に60分台であることを確認。想定の最速が61分だったのでいい意味で想定外。
自分はウエットスーツを着ると極端に速くなるのはあながち間違ってないかもしれない。水着だと短水プールで1'40/100mで帰ってくるのはそこそこ大変だがこの日は距離も短くなく(3850m)1'34/100mで泳げていた。

髭は剃った

T1 4'34

スイムのタイムが良かったのでかなり落ち着いて準備をした。お腹ハイドレ、心拍計、靴下、靴を装着しバイクに向かう。特に滞りもなく順調。

Bike 180km 5:56'11

タイムがブレる可能性があったスイムがいい意味でブレたので、このタイミングで既にサブ9は完全に視野に入っていた。市街地に入るまでの道路でもほとんど寝るような労力でぐんぐん前方車を追い抜いていく。目標パワーは230台中盤からの入りだったが、ランでより走れるよう楽なパワーゾーンで走ろうと考え始めていた。
5kmあたりの市街地のカーブで前腕とサイコンが干渉しサイコンが捻れ飛んでしまった。不吉。心拍計の動作も不安定だったのでパワー心拍ケイデンス無しでのライドを余儀なくされた。それでも試走と天気予報からスピードと主観強度だけでコントロールは可能だと考え落ち着いて続行。

そして17km地点が訪れる。
後輪の嫌な感触。
怒りとか悔しさとか、そういう感情は全く湧いてこなかった。
リスクの高い機材は使っていたができる対策はしてきた。映像、実走を含めた路面チェック、国内での耐パンクチェック、パンクしたときのリカバリー。雨が降った時だけのために雨用タイヤを持ってきてもよかったのかもしれなかった、路面抵抗よりもより安全をとってもよかったのかもしれなかったが、そうしなかった。
これはぬかったのではない。選択肢に挙げたうえで選択しないという選択をした。
それだけ1秒でも速く走りたかった。人と比べても仕方がないが、バイクに対しては1秒に賭ける思いが強いと思っているから。
だから後悔はなかった。

まず第一にパンクを15分以内に直せればまだサブ9は狙える可能性があった。交通誘導してた中学生のボランティアに自転車を支えてもらいながらチューブを変え、下手くそなりに空気を入れ直した。2bar入ってるのかどうか。ちょうど15-20分くらいだったと思う。それでも先にメカニックがあるエイドがあるかもしれないからそこまでは行こう。そう走り出そうとした時に前輪もパンクしていることが判明。
チューブは1個しか持ってきていない。
万事休す。
交通整理のおじさんがメカニックを呼んでくれるも2時間半は来ないとのこと。
まだ小雨が降っている。肌寒い。おじさんが交通誘導のジャケットを貸してくれる。暖かい。
やはり気持ちは落ち着いていた。
1年間やることをやりきってきた時にこのような仕打ちを受けるのが残酷だというのは傍から見た態度でしかない。
思い思いにIronmanに取り組む人達を少し安堵にも似た気持ちを持って眺めていた。

どれだけの時間が経ったのだろう。
コースの前からひとりバイクを押してくる人がいる。東京に友人がいるというイギリス人の彼は僕の親ほどの年齢でコナを目指してレースに出場していた。前夜の雨で電動変速が効かなくなりDNFとのこと。
彼がおもむろにパンク修理キットを取り出す。CO2ボンベ、替えのチューブをくれるだけでなく修理をしてくれた。
人の手を借りたいま、ルール上はこれで僕もDSQだ。
でもそういうことじゃない。
彼(Martin)は必ず完走しろといい強く握手して僕を見送ってくれた。もう既にバイクを一人で走ってはいなかった。

後輪は十分には空気が入らずビードが上がっていない。タイヤが一周する事にお尻に突き上げがくる。これはどれくらい安全なのか考えながら、絶対に走りきれるようにエイドのポンプを使ったりするも結局ビードは上がらなかった。
悲しいくらいに路面がきれいだ。時間を追うごとに路面は乾き、どうやってパンクするのかわからないような道ばかり走り続ける。後輪がガタガタでも4時間半ペースでは走れていた。何百人抜き続けたかわからない。周回コースの2周目に入り、よりコースを熟知するとどんどん身体が鋭敏に反応していく。集中は切れることなくパンクした地点まで戻り通り過ぎた。ここまでくればなんとかなる。走りきれた安堵と達成感でT2に飛び込んだ。

T2 3'03

バイクコースは高速ではあるもののアップダウンがところどころに見られる。目標が完走になっていたというのもあるがケイデンスもパワーもまともに管理できない中でやはり上り坂で踏みすぎて脚がいつもより疲れているのを感じた。

Run 3:28'04

ランは10.4kmくらいを4周回+ラスト。
走り始めからバイクは確実に乳酸が高まってる状態で終えたことがわかり、想定以上の長時間、時刻的な意味での気温上昇により水分も不足していた。なので4'30-40/kmで走り始めながらエイドでしっかりと水分補給をする。道のりは長いので焦りは禁物だが、体の声を聴きながら3時間15分くらいでは走っておきたいという感触だった。
前半21kmはひたすらエイドに寄りながら淡々と走る。徐々にペースが落ちているし心拍は全く上がらないが今日はもう仕方がない。いつもなら気づいたら15kmになってるような感覚は今はない。でも何らかの数値を設定しておくと気持ちを保ちやすい。


2周回を終え、あと2周となった時にこのまま走り続けるのは無理だとなり止まって歩いた。だがすぐに走り始められる。カフェイン入りのモルテンを20,30kmで取る予定だったので予定通り摂取。一瞬で効果が出て驚く。
長く寒空にいたからか糖も塩も足りない。エイドで初めてビスケットやバーなどの固形物を食べた。さながらピクニックだ。
3時間20分を目指してみようと言い聞かせて走るがGPSがバグりペースが全くわからなくなる。でもコースの位置関係的にはもうキロ5分以上はかかっていそうだった。
27km地点あたりで涙が流れ出した。
辛かったり悔しかったりではやはりない。
自分が1年間よく頑張ってきたなと、頑張った自分の取り組みに感動していた。
一歩一歩の足取りにそれまでの練習の痕跡が残っていて、地面の反発を通じて伝わってきているかのようだった。
きっとカフェインが効いてきて感情的にも興奮していたのだろう。
現実は残酷なもので、すぐ脚の痛みに我に返らされ、気を取り直してゆっくりと走る。
ラスト1周の後半もやはり立ち止まってしまうがもうゴールは近い。むやみにペースをあげようとせず淡々と走る。
徐々にゴールが近づきレッドカーペットにやってきた。
何と表現していいのか本当にわからない感情が入り混じった中、フィニッシュゲートをくぐった。


総合タイムは10:32'17だった。

終った後、その日のことはあまり覚えていない。菊池君と星君にすぐ連絡したかったが、ゴールが遅すぎて日本時間では深夜になってしまっていたため諦めた。すまない。
たしかすぐにビールとワインを飲んで8時位には泥のように眠っていた。

結果は伴わなかったが、僕がサブ9を目指すことで得たいと思っていたものはもうこのレースで殆ど得られ尽くしたようにも感じている。
それが何だったのかは胸の内に秘めるとして、それもこれも完走をしたことによってよりそう思えているのではないだろうか。
だからやめなかったことには大きな価値があった。

少し休んだらまだ残ってるしこりは表面化するだろうから、サブ9という結果を形にすることにはまた取り組むだろう。次のレースも実は決まっている。
でも、恐らくこの1年と同じような熱量で取り組むことはもうないのではないかと感じている。
そういう1年を過ごしたし、過ごせたんだからまた同じように過ごせるだろうと考えるのは簡単だけど、そればかりはわからない。
菊池君と星君と同じ時期にサブ9を目指すという方向性が一致したことは偶然の要素が大きいし、そういったものはやはり波のように打ち寄せては引いていく。
その力も頼りにここまでやれた1年を噛み締めながらしばらくは休養しようと思う。

次はどこに向けて
走ることになるだろうか

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