「変革をまたいだ人たち」に敬意を払う
男性の育休取得率が増えてきましたね。
まだまだ多いとは言えない状況ですが、かなりの伸びになっています。
またSNSでは「不当に育休を断られた」という炎上を見掛けることも多くなりました。
これで、日本社会における「当たり前」がまた一つ増えそうです。
「有給が取れて当たり前」
「残業代が出て当たり前」
「育休が取れて当たり前」
こういった正当な権利が、国民を豊かにすると喜ばしく思う一方で、
単に「当たり前」とだけ考えることを、危険にも感じます。
これらの「当たり前」がいずれも「変革をまたいだ人たち」の(ある種の)犠牲によって成り立っていることは、普段あまり意識できません。
それを考えることによって、自分も一つ下の世代や、我が子の世代に対して優しくなれるのではないかと考えました。
今日はそんなマジメなお話をしてみます。
最後までよろしくお願いします。
「変革をまたいだ人」は必ず存在する
有給休暇の取得、残業代の支給、育児休暇の取得。
こういった「良いこと」が社会に浸透するとき、そこには必ず「変革をまたいだ人」が存在します。
「変革をまたいだ人」とは誰のことでしょうか。
私の定義ですが、これは「自分はその利益を享受していないが、下の世代には享受させようとする人」のことです。
会社で考えてみます。
現代社会における「当然の権利」を社員に受けさせるとき、そこには、
「自分の時代には育休を取れなかったけど、部下には育休を取らせる上司」
「自分の時代にはサービス残業をし続けていたけど、部下には残業代を支払う重役」
である ◯◯さん が必ず、会社に存在します。
「良いよ良いよ、今はそういう時代だ」
といって、自分は諦めた権利を、部下には認めた人がいるのです。
この人たちの存在を、私たちはあまり意識していないのではないでしょうか。
「社会の流れがそうだから当然だ!」と叫ぶばかりで、その恩恵が誰かの食いしばった歯の上に成立していることを、蔑ろにしている気がします。
そしてこの ◯◯さん に対して想いを馳せ、「ありがたいな」と思うこと。
それは、自分が「変革をまたぐ人」になれるかどうかの試金石だとも思うのです。
未来の私たちは変革をまたぐか
いま、若者たちの間で「8時間労働は長すぎる」という意見が出ていると、Yahooニュースで目にしました。
「17時まで働いたら、帰宅後に何もできない」
と、若者が涙ながらに訴える動画が紹介されています。
これを見て、私たち上の世代は、どのような意見を持つのでしょうか。
「甘えるな」「皆がそうしてきたんだ」
と一蹴するのか。
「確かにキツいよな」「変わっていかないとね」
と共鳴するのか。
またがないのか、またぐのか。
それは私たちが、自分の前を歩いた「変革をまたいだ人」に気が付き、敬意を払っていたかどうかで決まる気がしています。
まとめ
今回は、男性の育休取得率が増加していることをキッカケに、「変革をまたいだ人たちに敬意を払うこと」について考えてみました。
いま、私たちが受けている恩恵の全てに、それぞれ「またいだ人」がいるはずです。
その存在に気付くことが、「次は自分がそうすることで、また社会が良くなるのだ」という意識を生むのかなと思いました。
今回はちょっと、カッコつけすぎました。
ダサくて女々しい記事を貼るので、これで中和させて下さい。
普段は読書によって得た知見をもとに、エッセイや日記を書いています。
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