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一枚の自分史:伊吹山でナウシカになりました

2003年5月24~25日、53歳、前泊で伊吹山に登りました。専属の貸切バスで和泉会の11人で出発。岐阜県揖斐郡春日村美束の年間民宿「たつみ」さんに3時ごろ到着。今回の楽しみは、前列、真ん中の75歳になるかわいいお話好きな民宿のおかあさんの作ってくださる山菜料理。この山旅の大きな楽しみの一つでした。その時の山日記を元に書いています。

 食事の前の腹ごなしに、伊吹の花ブックを片手に長者の里までお散歩。タニウツギの薄桃色の花がこぼれるように咲く道を、デジカメで道草を食いながら、長者平のスキー場まで行って帰ってきた。

 帰ってきたら、お庭では炭で鮎を焼いているところ。急いでお風呂に入り、待ちかねたお食事ではビールが旨い!
 山日記には詳しい山菜料理の実況中継のメモがある。
「山の中やでぇ、こんなぁもんしかぁないですがぁ」と言いつつ出して下さるつき出しは、蕗、筍、ししとうの煮付け・あざみと身欠鰊との煮付け・蕨の胡麻和え・春日豆(皮ごと食べられる)どれも素朴な山里の味。アザミは茎の部分で鰊とよく味が合う。蕨はとろけるようだし、春日豆も絶妙の味。そしてジャガイモのサラダ。
 鮎の塩焼き・おつくりこんにゃく、それにしし鍋。川の魚は泥臭いし、ししの肉も臭いのが苦手なのに不思議とこれが美味しい。
 お吸い物には若いみょうが入っていて、風味が効いていた。
 そして、極めつけがお漬物、高菜の塩漬け、昨年のきゅうりとナスの古漬けが絶品。これだけ食べて、お茶漬けまで頂いてしまったのはそのせい、そして楽しいおしゃべりのせいにしておこう。
 食事が終ってもなお7時台、夜中にきっとお腹が減るはずと、おにぎりを握った。「熟すまでもがずに、木においていて、しそを沢山使って作った」という梅干の美味しいこと! また、おにぎりを一つ頂いてしまう。帰ってから、体重計に乗るのは恐怖だとか言っている。
 2次会はパスして、カエルの合唱の中、早々に眠りにつく。
『山宿の山菜料理の山の幸 山の友らの山の楽しみ』

 翌朝、美味しい朝食と、新聞紙に包まれたおかあさんのおむすびを用意してくれた。7時半、出発したいけど、おかあさんが出発前に何やかやとしゃべりだして放してくれない。
 75歳でこの可愛いお顔と性格、その上に声が可愛くって若々しい。お買い物も、50ccのバイクで自分でやっちゃうって、本当にお元気。2歳しか変わらないのに、我が母親はちょっと老けすぎ、こちらに修行に出して、元気指南していただこうかなんて思うほどだった。
 ただ、元気なおかあさんも、我が母親と同じくやはり寂しいのかなとふと思った。誰か一人、おしゃべり相手を置いてこようかなんて冗談を言いながら歩き始めた。
 メモには、バスの運転手さんの分も入れて12人分で、7万8千円、3食と酒、ビール代込みと記述されている。
 
 さあ、山は若干の曇り空、8時にさざれ石公園を通過して、伊吹山北尾根をどんどん登る。花がいっぱい咲いている。アザミ、スミレ、ヒメウツギ、イブキスズシロ、ジロボウエンゴサク、アマナといった具合だから、急な上りも苦にはならない。デジカメでパチリパチリやっていると、すぐに皆には遅れる。追いついては遅れを繰り返し、休憩も取らずに登り続ける。
 やがて風の谷をトラバース、そこは、以前行ったことのある会員のいう「こわ~いところ!」急な斜面に、ごく細い道がかなり続き、谷から捲り上げるように風が吹き上げてくる。悪所ではあるが、そこは一面のお花畑。まだまだ最盛期ではないのが残念だが、やがて来る花時を彷彿とさせるぐらい若草が繁ってむせかえっていた。
 谷から吹き上げる風でまっすぐ前を向いて歩けなかった。風の谷のナウシカのように、風の中を髪をなびかせ、吹き上げる風に目を瞑らずに胸を張って歩いた。
 風の谷を過ぎると、国見岳への分岐があり、そこからはハイウエイを歩きんがら、急に切れ落ちる斜面を皆で覗いては肝を冷やし、猛スピードでカーブを曲がってくる車にむかつき、足元に咲く美形のタンポポに慰められ頂上駐車場着。11時。
 中央遊歩道を頂上に11時30分着。やはり、本当の花時には早いようで、その代わり人も少ない頂上で、民宿のおかあさんのおむすび弁当を開く。きな粉のぼた餅も入っている。風が強いので、あっという間に汗が乾き、体温を奪っていく。梅酒のお湯割をコップ一杯頂いて暖まった。風がきつく、長くは座っていられず、早々に発つ。
 下山は、予定していた道に出られず、結局は、フウロ、コキンバイ、ツボスミレが風に可憐にゆれて、風の中に鈴を鳴らしているかのようなお花畑の東遊歩道を下り、風の谷を通って、来た道を戻る。苦手の下りで、少し膝に不安を感じるころ、やっとさざれ石公園に下りる。
 公園の施設で百草茶という薬草のお茶をご馳走になる。山歩きの疲れを癒す。ボランテアの方と少しおしゃべりし、待ちくたびれたバスへ2時過ぎに戻る。
 帰りのバスではそのころ流行ったSMAPの曲「世界に一つだけの花」が流れていた。

 あれから20年近くも経った。SMAPも解散して、世の中もすっかり変わってしまっても、この歌は少しも色褪せていない。高度経済成長からバブル崩壊、景気低迷と社会は舵をモノからココロに切り替えようとしていた。
 日本はナンバー1にはなれなくてもオンリー1になれたのだろうか。

『草原を風に向かいて渡るとき ナウシカのごと顔あげて行く』
草原を往く「風の谷のナウシカ」のように、風の中を髪をなびかせ、吹き上げる風に目を瞑らずに胸を張って歩く、そんな生き方をしたいと思っていた。次々と解決できない問題を抱えて、そうできない自分がいた。
 この一年後の夏、母は逝った。
 こうして母や民宿のおかあさんのことを想うとき、その年に近づいて「老いることの哀しみ」を自分の身にも覚えるようになった。
 今も変わらず思う。ナウシカのように顔を上げていきたい。ゆっくりだけど、微笑みながら。

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