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【ピリカ文庫】『眠れない四月の夜に』

イントロ

真夜中の電話は、リオンからだった。

「前によく行ったあの映画館で例の映画がかかるみたいよ。見に行かない?」

年に数回、忘れたころにかかってくる電話。リオンと僕を繋いでいるものは、今はもうそれだけになった。

「悪いけど先約があってさ。ごめん」

いつも週末は散々暇を持て余しているくせに、予定が被る偶然を嘆く現実も時にはやってくるのだ。

次に彼女が僕に電話する気になるとしたら、たぶん半年は先になるだろう。

- K(ケイ) -

BGM:中央線(矢野顕子、小田和正)

ケイと久しぶりに飲む約束をしていた。彼女の家のほうに出掛けるのは久しぶりだった。中央線の最寄り駅で落ち合ってハイタッチする。少し気恥ずかしくも懐かしかった。

ガード下の客も疎らな居酒屋に落ち着き乾杯する。「就職おめでとう」とケイ。それが僕を呼び出す口実なのは見え見えだった。やっと定職についた僕だけれど、もっと早くそうしていればきっと別の関係性を築いたに違いなかった。

決して他人には言えない癖をいくつも握られているし、握ってもいる。

彼女の癖は、酔いが回り始めるとキーホルダーをジャラジャラさせること。そして、気分が上がるとともにその鍵の思い出が語られる。ギターケースの鍵、フェンダー、ギブソン。ピアノの鍵だって幾つかぶら下がっている。

「一番のお気に入りは、実はこれなんだ」ケイはそう言いながら長めの鍵を指先で擦った。ある、国産グランドピアノの鍵だという。

「取っ手のデザインが可愛いでしょ。丸くてトマトみたいでさ」

僕がちょっと顔をしかめたのをケイは気づいたかも知れない。かつて彼女がぶん取った僕の楽器ケースの鍵もまだ彼女のキーホルダーにジャラジャラの一員として残っていた。僕のを差し置いてそいつが一番なのが気に入らなかった。

「それで? そいつの元々の持ち主はどこのどいつなんだい」

ケイは曖昧に微笑む。

「ねえ、わたしが昔、ピアノ弾いて歌ってたのは話したっけ?」

音楽活動を再開するというケイは、そう決意するまでのあれこれを酔いつぶれるまで語り続けた。


- Rion(リオン) -

BGM:Remember You(Kaede)

リオンからの電話が胸のどこかに引っかかっていた。前に彼女から聞かされた愚痴を思い出したのだ。交際相手からDVを受けていた。だったら別れたらいいのに、と思うのは浅慮であるらしい。「根は優しい人だから」とリオンは笑った。当事者以外には理解できない何かが存在するらしかった。

僕がリオンと出会ったのは大学に入学して間もなくの頃だった。学内のどこかで毎日のように見かけるようになったのだ。そのうちに度々、視線が合うようになり、言葉を交わすようになっていた。休日には街をただ一緒に歩き回った。リオンとの関係はまるで、ままごと遊びみたいに暫くの間続いた。

それは、まったく見事なフェードインとフェードアウトだった。

ある日、学内で出会う頻度が、日に日に少なくなっているのに気付いた。関係は徐々に薄れていき、やがて消滅する。久しぶりに学内でばったり出会った時、彼氏ができたと告げられたのだ。

真夜中に電話するのがずっとリオンとの決まりごとみたいなものだったけれど、そのほんの微かな繋がりだけは、互いに拒絶することはしなかった。

「元気? せっかく映画誘ってもらったのにさ、
 いつもはバカみたいに暇なんだけど...…」

「いいのよ。それはそうと、あの人と別れたんだ」

「気にしてたんだ。良かったと思うよ」

「でね、わたし田舎に帰ることにしたの」

「えっ、一緒に映画行くんじゃなかったの?
 『アタック・オブ・ザ・キラー・トマト』
 また見たかったのに」

「急に決まったの。ごめんね」

トマトが巨大化して人間を襲う恐ろしく下らない映画。リオンと一緒ならまた見たかった。
「あの映画、一人で見るのちょっときついよ」

「ごめんね」

数日後、就職祝いのネクタイが届いた。リオンからだった。


- Misa(ミサ) -

BGM:スウィートソウル(キリンジ)

新入社員としては少し気恥ずかしい年齢だった。僕には本物の新卒のやつらは光り輝いて見えるし、周りとのコミュニケーションもおっかなびっくりになってしまう。

天然パーマにくりくり目玉のミサは、愛されキャラに違いなかった。同期入社のよしみで彼女と気軽に話せることが、誇張ではなくて毎日の生きる糧みたいになっている。

勤務終わりの線路沿いの道はとっぷりと日も落ちて、ビルの谷間に月が静かに浮かんでいた。なんと幸運なことに僕を見つけたミサが駆け寄ってきてくれた。駅まで並んで歩く。

「そのネクタイ、ゼッタイ、彼女が選んでくれたよね?」
どぎまぎしているとドヤ顔で追い打ちをかけられる。
「ネクタイだけセンス違うのよね、いい意味で」

その大きな目で見つめられると、情けないことにもう嘘がつけなかった。
「う...…うん、ずっと前にね。一瞬だけ彼女だった」

「ふう~~ん」

追い詰められた僕は、咄嗟に口走っていた。

「あのさあ、トマトが巨大化して人間を襲う映画って知ってる?」


(了)

(2050文字)


#ピリカ文庫
#トマト  


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