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気にしてしまうようなら、自動化しても意味がない(行動の納得感が重要である)

世の中が便利になったおかげで、作業はどんどん自動化をされてきています。AIの話ではなく、もっと身近なところでもあります。

よくあるのが、「メールの自動振り分け機能」などです。

でも、自動振り分けって本当に効率的なんでしょうか?

自動振り分けした後、結局見ますよね?

メールを自動振り分けで、指定フォルダに受信箱から自動で振り分けをしたところで、その後、そのメールどうするんですか?

結局メールは目を通すことになりますよね。その上で、メールに対して返信する?しない?読んで終わり?など対応を決めることになるはずです。

その判断をするのであれば、自動振り分けというステップは意味がないように思われます。受信箱に来た段階で、目を通して判断すればいいはずです。

自動振り分けした後、見ないメールの価値って?

自動振り分け後に開かないメールは、そもそも何なんでしょうか?本当に必要がなければ捨てればいいのですが、それもしない。ただとっておくだけのメールです。

そんなメールがただ溜まっていくというのはストレスじゃないですか?

判断する

必要なのは、メールに対して「判断をすること」です。

実行ではなく、明確にすることです。

それは、自動振り分けではなく、自分で見た上で対応を決める「自分振り分け」をする「数秒」から生まれます。

自動化しても、最後は自分(主観)・・・

AI技術の発展もあり、業務だけではなく思考の自動化の波も強まるでしょう。たしかに機械が導く効率的な判断というものは参考になるでしょうが、最後は自分が納得するかどうか、ということが重要になります。

もし、システムやツールに囲まれていて、客観的には効率的な生活を送っているはずが、どうもしっくりこない、ということがあれば、こう問いかけてみるとよいかもしれません。

「あなたはそれで納得の選択・行動をとれていますか?」

いかに客観的に効率的でも、主観的な納得がないとそれは辛いだけではないでしょうか。






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