「目的のない一人旅」ができるか?(人生も旅とすれば・・・)
私にはそれが困難なことに思えるのです。
家族旅行は別です。家族という単位で非日常空間で楽しんだり、リフレッシュするということが目的として明確だからです。
本当に一人になった時に、自分は旅に出ようとは思わないような気がします。
ただ家で過ごしたり、近所を散歩してみたりするくらいで、特段旅に出るようなことはないのだと思います。
「おつかい」みたいな旅行?
しかし、なんらかの「目的」を自らに設定すれば別です。
「留学」とか「名所史跡を見ておきたい」とか。
そういったものを自分で設定すれば旅に出るかもしれません。まるでおつかいをクリアするために出かけるみたいですけど。
「人生が重い」と感じる時には、そんなことを思う
よく人生を旅にたとえることがあります。
また、人生なんて目的があるようでないものです。自分がそこに目的を決めるかどうかであって、究極は人生には絶対的な意味や目的はないでしょう。
大体自分が疲れている時には、この「目的のない旅」感を感じているように思います。
GTDでもありますが「目の前の行動」と「ゴール」はセットで認識されることが集中にも、ストレスマネジメントにも重要です。
GTDが単なる仕事術ではないと感じるのは、「人生とその価値」レベルのゴールを自分で見出すことの重要性が入っているからです。
ここに共通の答えはないでしょう。GTDで重要視しているのは、「万人に対する共通の答え」ではなく、あくまで「個人の中での納得ある答え(または選択、判断や決断)」が見つかることです。
曲者なのは、この「答え」は、見つかったと思っても、外的・内的な変化を受けて常に変わり続けるものという部分でしょう。
「色即是空 空即是色」(般若心経)
という奴でしょうか。仏教的な感覚にも近いのかもしれません。完成とは停止を意味するのかもしれません。
「今はまだまだ人生を語らず」(吉田拓郎)
ということでしょうかね。
ふと、手塚治虫が死ぬ間際に「火の鳥」を完成させようとしていたという話を思い出しました。
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