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アリストテレスの愛「フィリア」とは?

アリストテレス著「ニコマコス倫理学」では「フィリア」という概念に多くのページを割いています。

ニコマコス倫理学は、よくよく吟味すると、

①個人としての善→幸福を紹介してのち
②その幸福の実現のための能力(アレテー)について解説し
③これを実践するための前提となる「意志の強さ」を取り上げ
④意志と実践の結果としての快楽と幸福の関係について論じ
⑤そのうえで他者との間に生じるフィリアについて解説した上で
⑥最終的な幸福論を展開する

そして倫理学は政治学に繋がっていく、というストーリー展開になっています。

■フィリアとは?

ニコマコス倫理学では、「幸福論」についで、「フィリア」についての箇所を非常に興味深く読ませていただきました。「フィリア」という音の響きも美しく、この音感がフィリアそのものを表しているように感じます。哲学もフィロフィーですから「知を愛する学」となります。

アリストテレスは善の種類を「魂の善」「身体の善」「外的な善」の三つに分けましたが、「フィリア」は「外的な善」のうちの最重要の概念に位置付けています。

一般に「フィリア(philia)」は、日本語では「友愛」だとか「愛」だとかに訳されていますが、本書や本書解説などを読んだ私の印象では、

「フィリア」とは、人と人との間に生まれる親愛の情のこと

ではないかと思います。

本書解説では「愛」と表現し、恋愛・夫婦愛・親子愛・家族愛・友情はもちろん、仕事上の同僚から、国を同じくする人たち、あるいは同じ地域に住む人たち、同じ趣味嗜好を愛する人たちの間の親和的感情など、広い意味での「愛」と表現。

アリストテレスは、フィリアは人間の優れた能力(=アレテー)のうちの一つと考えていて、人生においてとりわけ重要なものだと考えていました。

■フィリアを受ける人の三つの性質

アリストテレスによれば、フィリアを受ける人には「①善」「②快楽」「③有用性」の3種類の性質があり、これらは双方向的(インタラクティブ)なものだといいます。

①善のフィリア
善のフィリアは親愛の情そのものが目的となっている情のこと。「あなたそのものを愛しているからあなたを愛している」ので「無償の愛」というごとく「愛を捧げる相手に対しては愛を捧げることそのものが自分にとっての幸福」となっている情のことになります。

アリストテレスによれば「高潔な人(賢明なる人格者)の間にだけ成立する」といっているものの、高潔な人同士でなくてもそのニュアンスは「お互いを人として尊敬しあえる仲の間に生まれる親愛の情」といってもいいのでは、と思います。

②快楽のフィリア
快楽を提供してくれるがゆえに、その相手を愛するというフィリア。したがって相手が快楽を提供してくれなければ、快楽のフィリアは消え失せます。

でもこれって現実にありますね。ある意味、③有用性のフィリア、も同じですが、一緒に遊んでいて楽しいから友情が生まれるのであって、一緒にいて楽しくなければ、なかなか友情は生まれません。

そしてアリストテレスによれば、恋愛も快楽のフィリアだといいます。ルックスに惚れた場合には確かに快楽のフィリアだし、性欲を満たす場合もこれに当たるわけで、恋愛は快楽のフィリア。

そして、これが善のフィリアも伴って長年のパートナーになる場合もあります。これが夫婦(事実婚含め)なのかもしれません。夫婦の間には単純な「好き」とは異なる独特の親愛の情が醸成されるように感じます。これが善のフィリアなのかもしれないと思っています。

③有用性のフィリア
仕事でいえば、ステークホルダーがこれに当たるのではないかと思います。顧客、仕事仲間、取引先との間には、人間的な交流が生まれ、親愛の情が醸成されます。これが有用性のフィリア。

プライベートの場合では、お互い口に出さなかったとしても明らかに「打算的」な友人関係・恋愛関係・夫婦関係は、これに当たるのでは、と思います(表面的には善のフィリアを装っているかもしれませんが)。

■三つのフィリアの関係

三つのフィリアは、渾然となっていてくっついたり離れたり、と別々にあることの方が稀ではないかといいます。確かに善のフィリアの関係であれば、一緒にいて楽しい(快楽のフィリア)わけだし、その中で仕事を紹介しあうだとか、お互いに儲け話が周りに転がっている(有用のフィリア)場合もあります。

そして有用なフィリアの関係にある仲間が、快楽のフィリアをともなったり、善のフィリアに変わるかもしれません。

以上の三つのフィリアは、等しい関係同士のフィリア。

上下関係のフィリアは別途紹介していて、親子関係だったり、学校の先生と教え子の関係だったり、仕事上の上下関係だったり、年齢上の上下関係だったり、といった場合のフィリアは、その上下関係の度合いに応じて上位にあるものが、より多くフィリアを捧げるべきだとしています。

このほかにもフィリアの議論は「自己愛」があってこその「他者愛」だとする自己愛の是非についての紹介などもあります。

いずれにしてもアリストテレスの幸福論は、最終章を読んでもどうしても自己満的な印象が強くなってしまうので、アリストテレスとしては、その前提としての他者との関係に基づく親愛の情=フィリアという概念は、しっかりとページを割いてリュケイオンの学生たちに伝えたかったのではないかと思います。

「それぞれの人にとって自分が存在することが望ましいものであるのと同じく、あるいはそれに近い仕方で、友人が存在することもまた望ましいのである」
(ニコマコス倫理学:第九巻第九章)

*写真:ギリシャ:サントリーニ島(2012年8月撮影)

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