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『日本人の死生観』五来重著 読了

<概要>

日本人の死について、民俗的・宗教的視点から人間の死にまつわる思想・文化芸能に関する過去と現在のありようについて紹介した著作。

<コメント>

私の敬愛する宗教民俗学者「五来重」が、日本人の死生観についてのいくつかの書き物を整理して1冊の本にしたものなので重複する内容も出てきますが、内容的にはお墓や葬式など含めた死生観について「そういうことだったのか」という感じで、非常に興味深く読むことができました。

そして「はじめに」では、日本人の大半は庶民なんだから日本人論は「菊(宮家&公家)と刀(武家)」だけでは日本人論として成立しない。「菊と刀と鍬(くわ=庶民)」でないといけない、というのは本当に納得です。

⒈霊魂観

日本人の場合、古代ギリシャ同様、心身二分論で死ぬと身体と魂は分かれます。分かれてから先が日本独特だと思うのですが、人が死んで身体から分離した魂は、まずは「荒魂(あらみたま)=新魂」となります。

新しい魂は、死んでまだ十分熟されていない魂なので、恐ろしいものをもたらす荒々しい魂と恐れられていました。これが怨霊で、映画「もののけ姫」の祟り神もその一つです。新しい御霊ほど祟りやすく生前果たせなかった事があると入り込んで恨みを晴らすとまで信じられていました。

また残された肉体は穢れているので早く消滅するよう風葬(=大気にあたらせて風化させる→京都の化野、羅城門など)や水葬(=川や海に流す→熊野川中洲にあった熊野本宮など)などによって消滅させることで浄化させます。

さらに荒魂を鎮めるための様々な儀式(葬式含む)を執り行うことによって荒魂をできるだけ早く和魂となるようにします。一般に四十九日や○○周忌というヤツは、みな荒魂を和魂にすることを目的とする儀式。

戦死者の怨霊も事故死者の怨霊も、祭や供養をするにしたがって神に近づいていく。怨霊のままでおくと何となしに庶民は不安なのです。それに共同体や国全体のために犠牲になった怨霊をそのままにしておくと、生き残った人々は何となしに「うしろめたい」のです。この「うしろめたさ」が災害や不幸があれば、これはあの怨霊のせいではないかと思い、また巫女やシャーマンの託宣にも現れてくるのです。

本書第三章「怨霊と鎮魂」

和魂になった霊魂は、怨霊とは真逆で「恩寵をもたらす魂」=「先祖神」となって私たちを見守ってくれる存在になります。私たちが先祖を神様として祀るのは、これゆえです。

⑴荒魂の種類

基本的に荒魂には、恩寵をもたらす和魂になるまでに現世でウヨウヨしている霊ですが、仏教的にいうと未だ成仏していない霊魂。人間と神の間という意味で「中間神霊」と著者は名付け、平安時代には、荒魂のことを「御霊」とも呼んでいました。以下、荒魂の種類。

和魂になるまでの新魂
②非業の死を遂げた人の霊魂
③子孫や縁者の祭を受けない人の霊魂

これが餓鬼。生前の穢れが清まらないままウロウロしている怨霊。怨霊会は、これらの怨霊を鎮魂するための儀式。
中でも最も恐れられていたのが「牛頭天王」で、牛頭天王を鎮魂するための儀式が京都の祇園祭。
③自分の意志にあらずしてなくなった人の霊魂
④冤罪などで流罪になって死んだ人の霊魂

 菅原道真の霊魂がここに当たります。
⑤戦死した人の霊魂
戦死した人の霊魂は、宗教民俗学的には現在のような「官僚的国家神道の神社」で祀るのではなく、庶民が気軽に参拝できて盆踊りなどもできる、浅草寺や川崎大師のような施設で祀るべきと五来はいいます。そうやって戦死した方々の御霊を鎮魂する方が、より和魂となって安堵するはずだと考えたのです。

もし靖国神社をつくるとしたら、それは今のような官僚的国家神道の神社ではなく、鰐口を下げたり、賽銭箱を置いたり、大きな高炉をおいて浅草寺や川崎大師のような神社にする。そして普段着のままでも参拝して、どんどん内陣へ入って行けるようにしなければならないと思います。
正月や盆や彼岸には地方の民間の神楽とか踊り念仏とか盆踊りもできるようにする。そのような靖国神社なら無名戦士の霊も静まると思うのです。


同上

以上のほか、稲荷神社の神は狐に化身する中間神霊、八幡神社の八幡さんも同じ中間神霊(途中で応神天皇が祭神に変わったので中間神霊ではなくなる)。

⑵荒魂を鎮めるための様々な儀式

基本的に日本の祭や芸能は、中沢新一も『アースダイバー』シリーズで述べているごとく、死者を弔う儀式、つまり亡くなったばかりの荒魂を鎮めるための方策でした。

お盆では各地で様々な催しがありますが、戻ってきた魂が現世で祟りを起こさぬよう鎮魂し、また来世へ気持ちよく戻っていただくための儀式なのです。そうやって日本ではお盆やお彼岸などを大切にしてきました。

*儀式:葬式、四十九日、一周忌・三周忌など
*遊部:死者に奉仕する部民。恐山などの巫女は、成仏するまで誰も入れぬ殯のなかに入って、死者とともに暮らすので死者の霊魂と意思疎通できると解釈。
*神楽:天照大神をの霊魂を鎮める→岩戸神楽、海の亡霊を鎮める→阿知女作法、細男舞
*盆踊り阿波踊りなど含む。荒魂が暴れないよう上から跳ねて押さえつけて封鎖する動作から生まれた踊り。
*相撲:盆踊り同様、荒魂が暴れないようシコを踏む。相撲は荒魂を鎮魂するための儀式の一つ。相撲は「スマイ=素舞」が語源。
*各種祭(八坂神社の祇園祭→明治維新の神道国教化に伴い中間神霊たる牛頭天王から素戔嗚尊に置き換え、石清水八幡の放生会、春日神社のおん祭、大阪の天神祭、京都の大文字焼)
*精霊流し:お盆でやってきた霊魂を、おとなしく他界に戻っていただくためのツール

このような各種努力により、荒魂は祟りを最小限にしつつ和魂となって浄化され、昇華していきます。これを著者は「霊魂昇華説」と呼んでいます。

こうやって鎮魂され、ちゃんと浄化されれば、災いを招く「荒魂」は、恩寵を招く「和魂」となり、子孫を守護する、つまり祖先神となるのです。したがって祖先の霊はみな神として祀られました。

なお「神話のマインドセット」(S・ピンカー)たる「荒魂」のもたらした地震・津波・噴火などの自然災害や疫病は、今では科学革命によって「プレートの移動等による断層のズレやマグマの発生」や「ウイルスのもたらす病気」として認知され、各種鎮魂の儀式は「耐震対策」「防潮堤」「防災・避難訓練」「感染症対策」などに置き換わり、宗教的儀式など比較に及ばないほどの成果をあげていますが、そのマインドセットだけは、日本の文化として残っていってほしいと思います。

⒉他界(死後の世界)

⑴勧善懲悪を完結させるための他界の必要性

古代人にとって死後の世界は現世の延長であり現世の影であったと考えられていました。イスラーム教やキリスト教同様、現世で善をすれば死後は幸福が得られるし、悪をすれば不幸になると、という現世と来世の因果応報が道徳的規範だったのです。したがってこの道徳規範を破れば、地獄に落ちる、というわけです。

中世になると、この因果律は勧善懲悪として現世の悪行は来世を待たずに現世で報いを受け、現世の善行は現世の幸福につながるという意味になります。

時代劇の「ねずみ小僧」も「必殺シリーズ」も「水戸黄門」も、最近の「雲霧仁左衛門(個人的お気に入り)」も、みな現世の悪行は現世で報いを受けるので、私たち視聴者をスカッとした気持ちにさせてくれます。

ただし、勧善懲悪の因果律が現世だけでは完結しない場合もあります。この場合は、死後まで延長された勧善懲悪、つまり現世の善行は死後に天国行き、現世の悪行は死後に地獄行き、をもたらすとなるようストーリーを作ることで、完結させたのです。

来世の天国行きに向けた勧善懲悪の「勧善」つまり、善行の一環として「作善」も奨励され、山伏や熊野比丘尼への勧進、ダイレクトな寺社仏閣への寄進、伊勢参拝者やお遍路さんへの施しなども、来世に天国へ行くための善行とされ奨励。

私たちがいま、観光として訪れる歴史的遺産も、みな昔の庶民が来世を信じて善行に励んだその成果ともいえる、と著者が言及しているのも「なるほど」と思ってしまいます。

⑵他界は、この地上に連続した、はるか彼方にあった

近代以前は日本でも死後の世界の存在は自明のことでした。それではどこにあったかというと、山奥であり、海の彼方。

*山の彼方
野辺の送りを「山行き」といい、墓を山(陵)というのは、山の彼方に高いがあるという理屈からで、葬られた霊魂は死体から抜け出して「死出の山路」をこえながら、長い苦しい旅をするものと古代の庶民は信じていました。

 ○事例:高野山の高野浄土、立山の弥陀ヶ原、各地の賽の河原など

*海の彼方
熊野や足摺岬の補陀落渡海が有名ですが、死んだらその遺体を船に乗せて海の彼方の「常世」に送る、ということもおこなわれていました。「常世」というのは、いわゆる浦島太郎の「竜宮城」のことで海の彼方にある天国のことです。

補陀洛山寺の補陀落船(2022年5月撮影)

仏教が入って以降は、常世は観世音菩薩の住む「ポタラカ」という島に置き換えられ、水葬は死者を補陀落(※)へ送ることだといわれました。「ミロクの浄土」や沖縄の「ニライカナイ」も同じ「常世」のことを指します。

※補陀落
 
ポタラカ→栃木県の「日光(フタラ→二荒→ニッコウ)」やチベットの「ポタラ宮」の語源。

なお「ミロクの浄土=常世」からやってくるといわれたミロク船は、七福神を乗せた船でもあり「祖先の霊が世直しに米や宝を持ってくる」という信仰から、ミロク船を宝船に置き換え、七福神がやってくる、という信仰に変形したそうです。「宝船」も紐解けば、こんないわれがあったのですね。

イザナミ&イザナギの子供は蛭子(ひるこ)という、蛭のように骨のない子供だったので葦船に載せて流したといいます。葦船は蛭子船(=恵比寿船)とも呼ばれ、常世に向けて流された水葬の一環。大阪の高津宮の秋祭りでの葦船のいわれもこんな伝説からではないかと、と思います。

大阪 高津宮の葦船(とこしえ秋祭)2021年10月撮影

⒊再生

古代より、日本では生まれ変わり、つまり擬似再生の考え方もあって、一旦霊魂になったものが復活して生まれ変わる、という思想もありました。本書を読む限りヒンドゥー教や仏教の輪廻転生とも違うようです。

したがって浄土真宗などの日本仏教も、輪廻転生というよりもいったん成仏してそののちに阿弥陀様の子供となって復活する、みたいな考え方(融通念仏宗の伝法会)。輪廻転生は仏教の根本なので、ここまでくると日本の仏教は原始仏教とはまったく別物と言っていいかもしれません(そもそも宗教というのはそういうものでもありますが。。。)。

擬似再生で興味深かったのは「還暦になると赤いちゃんちゃんこを着る」という風習。還暦、つまり人生が一巡してもう一回始まるわけですから、ここで赤ちゃんに戻る、つまり擬似再生の儀式として赤ちゃんをイメージして赤いちゃんちゃんこを着る、というのがそのいわれのようです。

たとえば熊野詣や四国八十八か所参りで白装束(=死装束)を着るというのも、これらの巡業が擬似再生を意味するから。一旦死んで=白装束になって、現世の罪業で汚れた身体を清め、そして舞い戻ってくる、という儀式。

各地方の成人式や沖縄の「イザイホウ(13年ごと)」などの通過儀礼も、擬似再生の儀式だし、武田信玄や上杉謙信が髪を剃って入道になったのも擬似再生の儀式。

⒋安楽死

最近問題になっている「安楽死」ですが、近代以前の日本には安楽死と呼べる死に方が儀式として数多く存在したといいます。「どうせ死ななければならないなら早く死にたい」という心情が当時からあったらしい。

⑴二十五三昧講

恵心僧都がつかったといわれる「二十五三昧起請」によると、25人の講衆の中の誰か病が重くなると死ぬための建物(無常院・往生院)に移してしまう。中には阿弥陀如来と観音・勢至菩薩だとかがあってその前に病人を寝かせるという。そして愛着を断たせるために、そこには肉親は全然出入りさせない。

ただし、逆にこれらの前に寝かせると安心して10人のうち、2〜3人は病気が治って出てくるというから、まるで無常院や往生院はプラセボ効果があるようです。

京都大原の往生極楽院も、その構造上の特徴から安楽死のための施設だったのではないかと著者は想定しています。

⑵安楽死のための共同体祈願

病気が重くなると村人が総出で氏神さんの境内にいってお百度を踏んでくれたり、『般若心経』を読むことで、病人が安楽に死ねるようにしたといいます。

同上

以上のほか、お葬式やお墓の形態に関する様々な知見も紹介されており、私たちが何も知らずにお墓参りや仏式お葬式をしているのに、その根拠は一体どういうことなんだろう、と思った方にはぜひお勧めしたい著作です。

■番外編チャットGPTの回答

ちなみにチャットGPTの回答は以下の通りでした。五来重の説とは異なりますが、無難にまとまっていて模範回答のようですね。


日本人の死生観は、神道や仏教などの宗教的背景や、日本の伝統文化、社会環境などによって形成されています。以下に、一般的な日本人の死生観についていくつかの特徴を挙げてみます。

  1. 神道と仏教の影響 日本人の死生観は、神道と仏教の影響を受けています。神道では、自然や祖先を崇拝する考え方があります。一方、仏教では、輪廻転生や因果応報の考え方があります。これらの宗教的背景から、日本人は死を自然の一部と捉え、人生において因果応報の法則が働くと信じています。

  2. 祖先崇拝の考え方 日本人には祖先崇拝の考え方が根付いており、祖先が生前の行いによって天国や地獄に行くという考え方があります。そのため、生前の行いが大切であると考えられており、死後も祖先を敬い、供養することが重要視されます。

  3. 無常観 日本人は、生命や物事の移ろいや変化を「無常」と捉え、人生においても変化や不確定性に対して柔軟な姿勢を持っています。そのため、死を含めた人生の終わりに対しても、ある種の受容や諦観を持っていると言えます。

  4. 自己の存在意義 日本人は、自己の存在意義を他人とのつながりや社会的役割など、自己以外の要素によって定義する傾向があります。そのため、死後の世界においても、自己が他人や社会にとってどのような存在だったかが重要視されます。



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