芸能人大自殺時代は死ね

街角の取材を見ていて思ったが、正直ジェンダーレスの推進がどうとかはどうでもいいのである。
一人の人が自殺を選んだのはとても悲しいことであり、それが著名人であるのはここ最近珍しいことではなくなっている。

僕自身も自殺未遂をしたことがあるが、それ以来、自殺は決してしてはならないものだと自戒している。だからといって自殺した人を責めるわけではないが。

昔の人が心中やら殉死やら切腹やらによって死んだのがどれほどの割合なのかは知らないが、それでも最近はネットによって見えなくていいものが見えるようになり、誰でも匿名で姿を隠して気軽に全世界に対して発言できるようになった。

今回、果たして最後に自殺に追いやった引き金が何なのかはわからないが、いわゆる有名税が自殺に起因しているならそれは悲しい。

僕の好きだった女性歌手も自殺し、好きだった俳優も自殺をした。そしてまた、僕の心を支えてくれていた人が一人、自殺した。

その人が有名かどうかなんて関係ない。やっぱり自殺は間違っている。でもそれは自殺した本人を責めるのではない、その空気を責めている。

こういう時、Twitterには今まで叩いていたくせに手の平返しで悲しむもの、それを叩くもの、「言ってくれればよかったのに」という人、そういうのを見ると、「違うんだよなあ」と思ってしまう。

俺たちはもっと知らなければならない。自殺は自分たちのすぐそばにあり、今もなお進行しているということを。そして、自殺とは鬱や落胆の最終地点ではなく、通過点にすぎないということを。

事件でも、病気でも、事故でもなんでもそうだ。起きてからでは大抵遅い。そして何かが起きるたびに「ああしておけばよかった」を繰り返すのだ。

この空気を、変えていかなければならない。今すべきことは引き金を引いた犯人を捜すことじゃない。明るく楽しくみんな仲良く過ごすこと。この小学生に伝えるような言葉のどれほど難しく、本質をついていることか。

大人は言い訳ばかりがうまくなり、「世の中そんなに甘くない」「人生楽あれば苦あり」ということで、自分の人生の醜い部分を正当化しているに過ぎない。


最近、戦争が始まると自殺率が低下するという動画を見て、いろいろと考えさせられるものがあった。簡単にまとめると、共通の敵ができて社会的に一致団結し、現実問題でも雇用率が上がるかららしい。

俺たち日本人が戦争をすべきは、インターネットに潜む闇なのか。それとも、その闇に弱い人の心なのか。


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