とんでもない職場に就職してしまったー強迫、双極症ー 闘病記【30】
初めての正社員
前回は師との出会いを中心に述べました。今回は京都で就職したときのことを述べたいと思います。
前回述べたように、地元の博物館ではなく京都にある宗教団体の本部で働くことになりました。
家からは通えないのでおじさんの家に居候することにしました。
新しい生活が始まるのでウキウキしていました。
また初めての正社員と言うことで緊張もしていました。
病気について
さて病院は2週間に1回、実家に戻って受診することにしました。病院のことについては会社に理解してもらっていたのです。
この時は物事がうまくいっていたので、それを失うことを恐れて強迫症がひどく出ました。この頃には強迫観念は理不尽な暴力ということよりも、何かを失うのではないかという不安が中心となっていました。
双極性障害Ⅱ型についてはだいぶ良くなっていましたが、強迫行為は減っていませんでした。おじさんの家は初めて住むので、新しい強迫行為(儀式)がたくさん生まれました。
初出勤
さて出社する日が来ました。初めての満員電車でした。それはまさに心に描いていたサラリーマン生活というものでした。私は能力を期待されて入ったこともあり、やる気満々でした。
最初の日は会社の説明と案内を受けました。いろいろと案内してもらったのですが、とても大きな施設でした。立派な納骨堂がありました。ほとんど納骨堂の収入で運営されているようでした。
説明してくれた人が優しい人だったので、なんとかやれそうな気がしました。
嫌な予感
ところが次の日出社してみると様子は違いました。
まず朝礼があるのですがピリピリムードでした。司会者の言い間違いを許さない雰囲気でした。嫌な予感がしました。
理不尽
そして嫌な予感は的中し、オフィスは緊張感に満ちていました。まず、私は上司に言われて朝刊を読むという仕事をしていたのですが、それに対して「勤務時間内に新聞を読むとはどういうことだ」と部長に言われました。
私は「上司からやれと言われているからです」と答えました。すると「そんなもん仕事じゃない」と怒られました。
とても理不尽な一言でした。
会社とはこういう理不尽に満ちているのかと落胆しました。
法主さんはお茶目
ところで、なぜ新聞を読むことが仕事かと言うと、法主さんが高齢のため自分では読めないからでした。それで職員が代わりに読み、法主さんに関係がありそうな記事を切り抜きして提出していたのです。
これからも分かるように法主さんは殿様みたいな生活をしていました。
毎日法主さんの部屋を掃除するのですが、24時間冷暖房完備どころではなく毛皮の絨毯や高級椅子と、とにかく贅を尽くしていました。
そして法主さんは皆からあがめられていました。まさに宗教のトップと言った感じでした。
また東日本大震災の慰問をしにいくときに、周りの目があるのでプリウスで行くことになりますと言うと、ベンツじゃなきゃ嫌だと言っていました。お茶目な一面もありました。
パワハラ課長
さて仕事に取りかかろうとすると、オフィスでは朝から課長という人が怒鳴り散らしていました。もう最悪です。
今だと間違いなくパワハラで訴えられるであろうことばかり言っていました。ばかやあほは当たり前でした。
人格を否定するようなことばかり言っていました。元新聞記者だからと同僚が弁明していましたが、意味不明でした。
HSPの特徴を持つ私はこんな環境でやっていけないと思いました。私は法主さんの奥さんに評価されて入社したので、直接やり玉に挙がることはなかったのですが、頭がおかしいのかというぐらい、いつも怒鳴っていまいした。
そんなピリピリムードの中では、仕事なんて出来たものじゃありません。また、昼飯を食べる時間もありませんでした。オフィスでパソコンを見ながら弁当を食べるのです。社員食堂で食べる人は誰もいません。
休憩ももちろんありません。部長を初めとした上司たちだけにたばこ休憩がありました。とにかくめちゃくちゃな職場でした。
パニック
さて私はそんな中で仕事が全然出来なくて上司を困らせていました。ワードで文章を作成するぐらいは出来たのですが、テキストを作るから手伝えと言われましたが意味が分かりません。
何のことか分からないでいると、同時に何個も仕事を指示されてパニックに陥りました。発達障害と誤診されるような脳を持っているので、同時に複数のことをこなすのは無理だったのです。
その他にもいろいろ無理難題を押しつけられて、出来なくて謝ってばかりでした。
また外にお使いを頼まれたのですが、極度の方向音痴で帰れなくなってしまいました。
私が全然仕事ができないことがわかると、法主さんの世話という仕事を任されました。法主さん宛に来る郵便物を仕分けするのです。
それも分ける基準が分からなくて戸惑っていました。発達障害と間違われる脳を持つ私には、曖昧な説明をされても困ってしまうのです。
それでも法主の奥さんに気に入られているので上司は私のことを無碍に扱うことが出来なかったようです。
そして私には秘密の任務もありました。それは法主さんが発行する本を書くということです。いわゆるゴーストライターです。
内紛
毎日毎日怒鳴り声が飛び交い、オフィスはピリピリムードで私は完全にやられてしまいました。残業を申請するために30分かけて書類を作成するなど意味の分からない仕事もありました。
そして誰も私の病気に対する配慮はありませんでした。同僚たちは自分の仕事で手一杯で、私に配慮している暇などないのでした。またみんないらついていました。そんな中では病気に対する理解など望むべくもありませんでした。
そもそも私は奥さんが勝手に連れてきた、よく分からない人という扱いだったのでしょう。奥さんは後添えで法主の子供たちと仲が悪かったのです。法主の子供たちは職員と仲が良かったのです。
なので、私は立ち位置として微妙なポジションでした。そんなことは私には関係ないのですが、派閥争いのようなものに巻き込まれていました。これもストレスとなりました。
限界
私は毎日繰り返される怒鳴り声によって精神を病んでいきました。
だんだんと朝起きられなくなりました。
それでもかろうじて職場に行くのですが、落ち込んでいて仕事になりません。怒鳴り声がする度にびくついていました。
だんだん仕事も出来なくなり毎日泣きそうになっていました。
もう限界だと思ったので奥さんに研修を辞めたいと申し出ました。
そして本来の職場である地元の博物館で働かせて欲しいと言いました。
奥さんは仕方ないと許してくれました。
博物館
私はあっけなく地元に帰ることになりました。そして博物館で働くことになりました。私は嫌な職場から逃れられたのでほっとしました。
ところが博物館にも問題はあったのです。博物館には基本的に人は来ません。
毎日することがないのです。たまに奥さんが出向いてくるのでその送迎をしました。奥さんはいろいろ提案をするのですが職員はやる気ゼロです。
ここもよく分からない職場でした。することがないので不安に苛まれていました。そして強迫行為ばかりしていました。
これでいいのかと毎日自問自答していました。何をすればいいのか分からず途方に暮れました。
そして京都の職場でうつになって以来、どんどんうつがひどくなっていました。そして寝込むようになってしまいました。
医者にも相談しましたが無理しないように言われました。そして仕事をやめることにしました。私のサラリーマン生活はたった3ヶ月で終わったのです。
私にはサラリーマンが無理だった
そもそも私は「普通」に働くことが無理だったのです。
サラリーマンは荷が重すぎたのです。
環境が悪かったことや、病気に対する理解がなかったということはありますが、それにしても私には普通のサラリーマンをこなす能力がなかったのです。
一人でこつこつやる研究のようなことは出来ますが、みんなで一緒に協力して仕事をやるというのは無理でした。オフィスの形態にもよるでしょうが、人からの視線があると集中して仕事が出来ないのです。
HSPの特徴だと言ってしまえばそれまでなのかもしれません。
しかし私にも問題があると思います。長い間病気の療養で寝てばかりいたので、社会性に欠けているのです。今もですが。
あと昔から群れるのが苦手でした。(詳しくは以前の闘病記を読んでください)そもそも人間関係を作ることに難があるのです。
またオフィスでは人からの視線が気になってしまうのです。
学校みたいに視線が一方向であれば集中して仕事ができるのですが。
退職後
退職してからはめちゃくちゃ落ち込みました。自分を責めてばかりいました。
職場の環境が悪かったからだと割り切ることは出来ませんでした。全て自分に非があると思っていました。自分を責めるという症状は完全にうつ状態でした。
そして自分は「普通」に働くことは無理なのだと思いました。もう「普通」に生きることは出来ないと思いました。この時点では障害者雇用など考えてもみなかったのです。自分が障害者になってしまうことが許せなかったのです。
現状の自分を認めることが出来ず、ありたい自分、あるべき自分を追い求めていました。苦しい生き方をしていたと思います。自分で自分を苦しめていたのです。
周囲には誰も私のことを責める人はいませんでした。職場の環境が悪かったのだと慰めてくれました。
独り相撲
しかし、私は自分のせいだと思って自分を責めていました。全ては独り相撲でした。
自分らしく生きることができるようになったのはごく最近のことなのです。
そして職場のことを振り返ることが出来るようになったのも最近のことです。
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