人間的な強さと社会的な強さに乖離があると人は"無敵"に近づく【社会的に弱い"強い人間"が一番強くなってしまう問題】
ぐらです。
この記事の『無敵の人は"なんとかしてきた人"がなる』を前提にしています。
最近『無敵の人』化が進んでいるように感じています。
それはコロナ禍の影響です。
私の現状は社会的に見たら底辺も底辺で、
それゆえに自分のことを弱い存在だと認識していました。
社会的弱者=人間的弱者
逆に言えば私より社会的に強い人は、
人間的にも私より強いと感じていました。
それをコロナが変えました。
言っちゃなんですが私にとってはありふれた死のリスクに選択肢が少し増えたくらいでそんなに恐怖を感じていません。
別に死ぬのが惜しいような人生を歩んでいるわけでもないし。
それに比べて世の騒ぎようはなんでしょう。
"もしかして世の人々はそんな程度の死のリスクが増えた程度で大騒ぎするくらい『死のリスク』から遠いところにいたのか?"と愕然とします。
思い出します。
社会的強者からの心無い言葉の数々。
自己責任と実力主義の呪い。
弱く貧しいのは怠惰が原因で、強く富んでいる努力のおかげ。
今までは社会的強者も私たちと似た『死のリスク』と闘っていると思っていたので一理あるとじっとマウントを取られてきました。
が、私たちから離れた場所、安全な対岸から彼らは石を投げていた?
日々コロナは彼らの本当の強さを暴いていきます。
ある人は情報に流され、
ある人は取り乱し、
ある人は買占め、
ある人は他人を攻撃し、
ある人はそれでもマウントを取り、
ある人は自分さえよければという行動をする。
どんどんがっかりし、どんどん怒りが沸いてきます。
これは強者感出してきて威張り散らしてた上司が、
いざとなったら役に立たなかった時のような失望。
そんな役立たずのくせにイキり散らかしてたんかという怒り。
自分はそんなことしない。
コロナもそんなに恐れていない。
どうして?
そこで、自分の強さに気づいてしまった。
虐待もなんとかしてきた。
いじめもなんとかしてきた。
精神疾患もなんとかしてきた。
現状もなんとかしようと頑張っている。
それでいて実力主義も自己責任も間違っていると知っている。
強いじゃん。
しかしここで矛盾が生まれてしまいます。
社会的弱者=人間的弱者
なのだから、人間的強者の私は社会的強者でなくてはならない。
が、実際は社会的弱者。
どうして?
この程度で取り乱す人間がなぜ私より上にいる?
私より情報に対する判断が拙い人間が私より上にいる?
死の覚悟も出来てない人間が私より上にいる?
なんとかしなきゃ
なんとかしなきゃ
なんとかしなきゃ
私は強いので今までのように”なんとか”すると思います。
取り乱さず、情報を選択でき、死の覚悟が出来ている私が。
今までのように手段を選ばず。
という感じで無敵化が進んでいます。
私は早急に社会的な強さと人間的な強さの乖離を縮めないといけない。
自分(と自分と似た境遇の人)の強さと他人の弱さに気づいてしまった。
『弱い人間』が自分と同じような『強い人間』を嘲笑したり無下に扱うのをきっといつか我慢出来なくなる。
ぐら
2020.04.27
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