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ティモンディの済美トークと学生時代の野球部の話

私が2020年、個人的に応援していた芸人さんがティモンディだった。済美高校野球部出身の高岸さんと前田さんから成るコンビで、2020年はテレビもよく出ていたと思う。彼らの魅力はフリートークが面白いこと、そして何より見ていて、こちらが元気になることだ。またYouTubeをうまく使って、名前を売った印象もあり、注目していた。個人のYouTubeチャンネルも持っており、コロナの自粛期間中は毎日配信が行われ、高岸さんの「やればできる」には何度か励まされた。独特の話し方と150キロのストレートを投げることから、高岸さんがフューチャーされることが多いが、個人的には、じゃない方に徹している前田さんを応援したりしている。

彼らはネタとして済美高校時代の話をよくする。彼らが高三だった2010年、私はすでに働き始めており、忙しくて高校野球を見る機会はほぼなかった。したがって彼らの世代の話をされてもいまいちよくわからない。一方、先輩の話として済美高校野球部が選抜甲子園優勝、夏の甲子園準優勝した2004年の話をされることがあるが、この時期は私が一番、高校野球を見ていた時なので共感できる部分も多い。

2004年、私は医学部の四年生だった。なぜ医大生が高校野球の試合を見まくっていたのか。それは医学部の野球部で活動していたためである。医学部の野球部と言われると、なに部やねんと突っ込みが入りそうだが、医学部にはいわゆるクラブ活動としての部活が存在し、名目上は医師になるための勉強の息抜きに部活としてスポーツや芸術などをするということになっている。なので活動日は多くて週に3日程度、お盆や年末年始はしっかり休むし、なにより勉強に支障が出ないようにというのが建前である。一方、運動系で言えば春、秋はリーグ戦があり他の医大と対戦もするし、夏には東日本医科学生体育大会(東医体)というのがあり一年の集大成として各大学の医学生が大真面目にスポーツに取り組んだらする(補足すると競技によっては冬に東医体を行う競技もある。また春秋リーグは医歯薬リーグと銘打っている競技も多く、歯学部や薬学部、はたまた看護学部の学生も参加できたりする。なお東医体は医学生のみ参加できる。あと西日本の医学生は西医体に参加し、さらに競技によっては東西の王者を決める全医体というのもある)。

結構な思い出話になりそうだが、私のいた大学の医学部野球部は割と真剣に野球に取り組むのが伝統で、私の現役時には、高校時代に県大会決勝くらいまで行った先輩がいたりで練習もかなり厳しかった。と言っても医学生のみなのでそこまでレベルは高くなく、人数も多くなかったので高校野球経験者の私は2年生くらいから試合にはコンスタントに出られていた。野球のレベルの話で言うと3人、新入部員がいたらそのうち1人は高校野球経験者、残り2人は少年野球か中学野球まで、下手したら野球をしたことがないけどなんとなく興味を持って入った、というような感じである。加えて指導者がいなかったため練習メニューやチーム方針は上級生が自分たちで考案して、実践していた。チーム運営という意味では非常に特殊な経験ができるので、今となってはいい経験であったと思う。そして、2004年は私がその方針を決める上級生だった年なのである。

私たちのチームを運営するにあたり、なんとかチームのレベルをあげようと始めたことのひとつが、強豪高校の野球の試合を見て、参考にすることであった。おかげさまでダルビッシュ投手の甲子園でのノーヒットノーランを目撃したり、涌井投手の投球を生で見られたことなどは良い思い出である。また野球雑誌もよく読んだし、強豪高校の練習方法などはかなり頭に入っていたと思う。

さて済美高校との関係の話に戻る。2004年の冬のトレーニングを行うにあたり、私たち上級生はいくつかの強豪高校の練習を参考にした。そのうちのひとつがその年の春に全国優勝した済美高校で、もうひとつが夏に全国制覇した駒大苫小牧であった。駒大苫小牧の冬メニューで参考にしたのは雪の中でも外でボールを使って練習する雪上ノックだった。と言っても私の大学は東京にあるので雪は降らない。これは、もともと冬はボールを使わないトレーニングメニューのみというのが私たちの野球部の伝統だったのだが、それを壊して冬期間もグランドを借りて、ボールを使った練習をしたということである。
済美高校のトレーニングで参考にしたのはスーパーサーキットというサーキットトレーニングメニューだった。済美のサーキットメニューを易しくして練習メニューに組み込んだのだ。ただ済美の練習メニューは合理的で目新しいものも多く、本当はもっと参考にしたいメニューがあった。しかし内容が特殊すぎて、これくらいしか真似できなかったのである。当時の野球雑誌には、細い鉄棒でゴルフボールを打つ、エルゴメーターで全身トレーニングするなど、一個人ではなかなか用意のできない器具を使用した練習メニューばかりが書かれていた。最近、ティモンディが済美高校時代の練習の話をしていたが、平均台の上でピッチングする、ハンマー打ちでリスト強化する、ゴムを使って反動をつけて最大走力を体感させるなどが紹介されており、やはり特殊で目新しく、かつ合理的なメニューばかりと感じた。

これらの経験から済美高校、特に当時、監督だった上甲監督には合理的で科学的な人だというイメージを持っていた。選手を体心技の順に鍛え、小手先の技術より基礎体力を優先するという発想も、さまざまなレベルの選手が集まり競い合う高校野球においては非常にリーズナブルだと思ったし、この考え方はレベルのそこまで高くない医学部野球においては応用しやすいと考えていた。

ところがである。ティモンディの話すエピソードで意外なものがふたつあった。

ひとつは2004年の選抜大会の東北高校戦の話、6対2の4点ビハインドから最終回に2点を返し、ツーアウトながらランナー一、二塁の場面で3番の高橋選手に打席が回ったシーンである。上甲監督が打席に向かう高橋選手を呼び止めると、神水だと言って地元の神社の水を飲ませたというのである。結果は逆転サヨナラスリーランホームラン。まさに神をも味方につけたシーンだった。たしかこれはアメトークで話されていたエピソードである。
実はこのシーン、私はテレビで見ていて、よく覚えている。まず東北高校のマウンドにはダブルエースのひとりの真壁投手が上がっていた。東北高校が、最終回に2点差に迫られながらもツーアウトランナーなしとなったところで済美の一番バッターにヒットを打たれた。この時、私はなぜレフトを守っていたダルビッシュ選手にピッチャーを代えないのだろうかとやきもきしていたのである。あとで知ったことだが、この時のダルビッシュ選手は肩を故障して、本調子ではなかったそうで、東北高校の監督さんも真壁投手と心中せざるを得なかったようである。ただこの高橋選手のこの打席、初球簡単にストライクを見逃し、2球目は全くタイミングのあっていない空振りをしたのを見て、勝負有りで東北高校の勝ちだなと私は思った。そしてら3球目、4球目もかろうじてバットに当てたようなファールで、そろそろ三振かなぁと思っていたところ、大逆転のホームランを放ち、度肝を抜かれたので、この場面はいまも鮮明に覚えていた。
さてティモンディの話を聞いて、科学的で合理的なイメージの上甲監督のイメージが少し変わった。神様とか、そういうスピリチュアルなものを大一番の場面に持ち込むのが意外であったからだ。ただよく調べてみると、この神水エピソードには別の見方もあるようである。というのも上甲監督が地元の神社を参拝したのは、選抜大会の始まる2週間前で、大会中に神水を持っているはずはなく、ただの水道水を飲ませ、大一番に舞い上がっていた高橋選手を落ち着かせただけだというのである。薬商を営んでいた上甲監督ならではのプラセボ効果を狙ったのであろうか。もしくは勝負師ならではの演技なのであったのだろうか。いずれにせよ上甲監督の合理的、科学的というイメージが少し変わったエピソードであった。

もうひとつはティモンディのラジオから。ケガの多い高岸さんを心配した上甲監督がお祓いに連れて行き、取り憑いた七匹の動物の霊を祓って、けがが治ったという話。これはスピリチュアルな話に他ならない。ただ思い出したのが、私が大学病院で働いていた時、患者さんの急変が続くと普段は論文をもとにエビデンスを語っている先生が、週末、お祓いに行くことがしばしばあったことである。意外と科学とスピリチュアルなものは紙一重なのかもしれない。

以上からティモンディの話を聞いて、上甲監督の印象が変わり、奥深さを知ることができたのであった。ティモンディには今後もまたまた新たなエピソードを話してくれないかと期待している。

最後に、ティモンディが紹介していた済美高校の練習で、10kgくらいの丸太を担いで走るという練習があるそうだ。うちの子供はいま3歳で体重16kg。保育園に行く途中でイヤイヤが始まり、動かなくなることが多々ある。仕事の時間も差し迫り、仕方なく暴れる16kgの子供を抱っこして保育園に走る。頭の中で、済美、済美ーと叫びながら。

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