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アメリカ最高裁、中絶の権利認めずか…ルイジアナの州法はちゃんと原文で読んでおきたいな
苗字と自己同一性のはなし
体系的に学ぶということ
会社で、オンライン研修を受けなさい、2倍速ならすぐ終わる、などとすごい量渡された。
何でも速くたくさん摂取すればいい、みたいな思想を人事が持ってることにびっくり。
いや、わたしはやっぱ立ち止まって考える時間がほしいや。無駄な寄り道とかして理解したことのほうが価値あると思うよ。
急浮上です。ぽつぽつ書くよ。
何をその人たらしめるかっていう。わからんよなあ。わからんよ。
どんなに対等だと叫んでみても
この感覚を表す言葉を持ち合わせていないんだよなーーー文字にすればするほどぽろぽろとなにかがこぼれ落ちてしまう。わたしの語彙はとても貧しいことを思い知らされる。
自分はなかなかに社会に適合できない人間だと思ってるけど、それと同時にいやいや“社会”が求めるハードルが高過ぎでしょうとも思うし、そのハードルを無視し続けて別の小道をがさがさ歩いていたりして出会う人とは大変安心して生きられる。
いろんな人に可愛がって、愛してもらっているなとふと感じる日々である。
自分じゃなくてもとか、自分なんてとか、彼らを前にそんなことは言えないね。
下記についてはもちろん男女に簡単に括れないでしょ、という反論がありえるし、簡単にそうしようと言えないことではあるのだけど、ただ考え方としては足を引っ張り合ってもろともに下へ下へ行くのではなく、理解し合い容認し合い上へ上へと行きたいよね、といえこと。(2/2)
差別とかそういう話を考えるときにいつも頭にあるのは「女性専用車ずるい、レディースデーもずるい、逆差別だ、なくせ」より「女性専用車もレディースデーもいいよね、男性専用車とメンズデーもつくろう」という方向性の思考でいたいということ。(1/2)
お洒落な言葉としての多様性とかダイバーシティとか、ほんとやめてくれ。もっと切実で泥臭いものだよ。中身空っぽの何かを綺麗な言葉だけで飾ってお洒落にラッピングしてそんな名前をつけないでくれ。
何回でも言うけど自己責任論は本当に嫌い。