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『未来よ こんにちは』



人生は欲望があれば幸福でなくても期待で生きられます。幸福を手に入れる前こそが幸福なのです。


予告編は本編を見た後、つまり当テキストを書くにあたって見たわけなんだけれど、おいおい、意地が悪いなっ! って感じです。

本編を観てみると、良い意味で裏切られる....とは、必ずしもいえないです。女性についてはそう言える。男性については、言葉のとおりかもしれない。

ということで女性、それもある程度年季が入った(w)方にはオススメ。男性が観ようと思うなら、ぼくのテキストは読まずにいたほうが身のためですぞww


哲学的な言い回しを(背伸びして)試みてみるなら、

女性にはペシミズムは通用しない。

コピーライター的にいえば

凜として生きる

になるのかな。



充実していたはずが、いつのまにか、おひとり様。

男女を問わず、よくある話でしょう。

けれど、孤独も時の流れもしなやかに受け入れたなら、未来は再び微笑みかけてくる。


この映画の方向性を決めているのは、挿入された音楽だと思います。予告編にも出ていました。シューベルトの『Auf dem wasser zu singen』

この歌の邦題は『水の上にて歌う』という直訳でダサイんです。音楽は素晴らしいのに。


ネタバレです。


『Auf dem wasser zu singen』が挿入されるシーンは、ナタリー(主人公)が母親が危篤(すでに訃報)を聞いて、夫の元実家の別荘から駆けつけるシーンで、です。このときすでに夫からは離婚を切り出されていて、置いてある自分のものを片付けるために別荘に赴いていた。ただでさえ辛いところに、泣きっ面に蜂という展開のところ。

その展開の上にに被さってくる。


いささかの違和感を覚えました。

『Auf dem wasser zu singen』は、一聴は明るい感じ。よく味わうと哀しさが秘められていることはわかるにせよ、重苦しいシーンには、ちょっとどうよ? と思わなくはない。フランスの映画なんだから、フォーレの『夢のあとに』あたりがふさわしいのでは?  と思ったくらい。


けれど、観通していくと、これが考え抜かれた選曲だったということがわかります。そのシーンにおいては「先取り」になるけれど、この秘められた哀しさの上の悦びが、この映画のテーマなんだと。


でもねぇ...。

苦情をいうわけではないけれど、終わりまで観通すと、身も蓋もないところへ着地しまいます。

(ここからは、本当のネタバレ)。




ナタリーはお祖母さんになる。
ナタリーが「こんにちわ」する未来とは、お祖母さんになることでした....以上! 終了!!


と苦笑しつつ、なんのかんのと述べ立てるのは打ち切りにしてしまいたくなるような。

男としては。

そんでもって、女はいいよなぁとため息をつきたくなる。

(あくまで一般論として。)



まあ、でも、せっかくですから、何のかんのと述べ立ててみます。

ナタリーは哲学教師です。
でも、哲学なんて、ちっとも役になっているようには思えない。見えない。


不遇な巡り合わせで孤独になることはあります。可能性としては誰しもが。ならなければ幸運だし、なれば不運だけど、それだけの話。映画のコピーに従えばしなやかに――別にしなやかである必要はないと思うけど――受け止めれば、ダンナがいようがいまいが教師としては面白くなくなっていようが、お祖母さんになれる。


お祖母さんという存在は、動物の世界では特殊なものなんだそうです。利己的な遺伝子によって支配されている(と言われる)動物の大半は、その役割――遺伝子を残す――を終えると、生命も尽きる。メスの場合、子どもが産めなくなるタイミングがほぼ寿命になる。

ところが人間の場合、女性が女性でなくなってからでも役割がある。「お祖母さん」という存在は、動物としてのヒトには必要な、生物生態学的な観点から見ても立派な役割だというのです。

「お祖母さん」が必要とされるほど、ヒトの子育ては大変だということ。



つまるところ、本作が描いているのは「女」が「お祖母さん」になる。たったこれだけのこと。

妻とか。
教師とか。

社会的な役割がどうなっていようとも、そこの不遇があろうがなかろうが、「女」にはまだ「お祖母さん」という果たすべき役割が残っている。

自然に生きていれば、それでよい。



では、男は?

ナタリーの(元)夫は、当然のことながナタリーの引き立て役だけれど、「お祖母さん」は必要とされるけれど、「お祖父さん」はどうかという問いに沿って考えるなら、相当に(フランス的?)エスプリが効いた描かれ方になっています。


ナタリーに孫ができてからの、終盤。

ナタリーが外出から帰宅すると、元夫が家の中で待っている。ふたりとも哲学教師なので、哲学の本が必要なのでしょう。必要になった本を元の家に探しに来たと。で、その本が何かというと、ショーペンハウエルです。

「おいおい、哲学はもはや笑いのネタかい!」

思わずツッコミを入れたくなってしまいましたww


離婚をして別の女と暮らしているとはいえ、まだナタリーに情を残している風情の元夫。ぼくも(残念ながら)男なので、その情けない気持ちはよくわかるww

で、その情けない男は、子どもと孫たちが来るからといって追い出される....。


追い出された男の表情は描写されていません。ま、そこは本筋とは関係ないから。けれど、ここほど(男として)孤独が感じられるシーンはありません。


...というような映画です。

男性にはおススメしない理由は、ご理解頂けると思います。

自然は男にとっては残酷です

だからこそ(男には)哲学が必要ww


もっとも。

「女は産む機械」などと言い放つ輩には、じっくり見てもらって、やがて味わうであろう孤独を予感してもらいたいと思いますが。

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