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海と富士山、それから茅ヶ崎

「さわでぃーちゃん、次は~茅ヶ崎どう?」

そんな感じで、仕事をいただき茅ヶ崎へ上陸した。

これは、借金してでも気になる地域を調査してしまう地域冒険家が、偶然に出かけた先で色んな人に出会いながら、土地を味わい歩く冒険記・・・!

旅が仕事になりつつある今、
首都圏・地図校正の2024年初仕事で、私は茅ヶ崎へ向かった。

旅が仕事になった経緯▼

茅ヶ崎との初対面。

鎌倉を越えて、より西へ。
地名は聞いたことがあった。

”サザンオールスターズ”が好きすぎて好きすぎて、気が付いたら茅ヶ崎役所に転職を決め、茅ヶ崎に移住、サザンで人生が~!という方の新聞記事を読んだ事があったので、私の中では波乗りジョニーの街である事しか知らなかった。

茅ヶ崎駅に着いて10分後。
通常は4時間ほど経たないと、町とシンクロしてこないのだけど
珍しいことに10分で町の全体像も分からないままに
「この町!好き!大好き!」と感じた。
(私の特技は町とシンクロすること。意味わからないって?私も知らんのよ。)

とんでもなく、この茅ヶ崎という町が愛おしい。
気が付いたら、大好きだった。
こ、こ、これは私もまた公務員試験を受けて茅ヶ崎役所に転職か、、、?
という考えも過る。

しかし、理由もなくこんなに急に茅ヶ崎が大好きになったのは、きっと、ちょっぴり町とシンクロしてしまったから。

ここから自分の状態を観察した推測だが、茅ヶ崎に住む方々は、この土地が「大好き」で、先に新聞記事に書いてあった方のように何かの理由で「茅ヶ崎に住みたい!」という意図的な選択をして、この地に住まわれている方が多いのではないか?それが、この「大好き!」という感覚に繋がっているのでは?

そんな事をぶつぶつ考えながら、駅から出て南の方角の海に向かう。
徒歩20分ほど。
海に行きつき、住民の「茅ヶ崎大好き!」の理由を知る。



私の記憶の中に、こんなにも雄大な海があっただろうか。
隣町の鎌倉の海とも違う、千葉の海とも日本海とも何か違う。

息を吞みつつ、左から右へ見渡していたら、右手のシルエットに釘付けになる。

富士山だった。

肉眼ではもう少し大きく見えた。
歩道橋から。


朝は日の出が、左手の江ノ島側から上がり、この大海原を通って、右手の富士に落ちる。

「東海道中膝栗毛じゃあ、、。」
完全に、気持ちは江戸にタイムスリップしていた。
海沿いに道が続き、その真ん中から富士が大きく見える。

十返舎一九は、この景色を見て旅行記を書いたんだろうか。
もう私には、砂浜にメインキャラクターの弥次さん喜多さんが見えた。いまは令和か?江戸の享和なのか?(東海道中膝栗毛は享和から書かれた。)

こりゃあ、たまげた。

茅ヶ崎のご婦人と遭遇。

大きく口をあんぐり開けたまま、道をたどる。
サザン通り、サザンビーチ、そして雄三通り(加山雄三)。

各年代のビックスターを輩出している。しかも、かなりのビックスターだ。
この雄大な海が奏でるリズムを曲に落とし込んだのかしらと、道をまた戻って、しばし、海岸に座り込む。

茅ヶ崎。
この雄大な景色に魅せられた人々が移住してきた、別荘地なのだろうか。
しかし見渡せば、かなり新しめの家が多い。古い家と言っても築30年ほどだ。古めかしいお屋敷のような建物はあまり目に入らない。


どんな人たちが住んできた歴史がある町なんだろう?
そんなことを考えながら歩いていたら、
生まれも育ちも茅ヶ崎という御婦人に出会う。
(帰って来て職場で話したら、茅ヶ崎ネイティブにそんなタイミングで出会う!????と(笑))


なんだかんだと仲良くなり、立ち話を20分ほど。
茅ヶ崎という街の移り変わりを偶然に伺った。
「ここら辺、新しい家が多いですけれど歴史も感じる気もして、どういった変遷を?」
「ああ、ここらはね、昔からもあるけど、今ちょうど町の変わり目の時なのよ。」

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時は遡り明治30年頃。
川上音二郎夫妻など、国語の便覧でしか見た事がないような方々が、別荘として茅ヶ崎に移り住んできた。彼らは、その当時の市川団十郎を慕って来たということだった。

今は美術館となる別荘入口。


文化人だけでなく、貿易商の重役など明治から大正にかけて、ポツリポツリと移り住み、あそこは〇〇様の御屋敷、あちらは〇〇家と数える程だった。
現在は少ししか無いが、明治大正の当時は、海岸に沿って、防風林の松が左から右に東西分厚く伸びていた。その合間に、ひっそりと御屋敷が建っていたという。

茅ヶ崎駅から海にかけて、
今は住宅が所狭しと立ち並ぶ。
松林は、海外沿いに一列だけ。

むかし、緑の斜線部分には
分厚い防風林の松があったそうである。
駅近くの茅ヶ崎市美術館は、
川上夫妻の別荘跡地。
ここにも松林があったので
昔はここら辺または駅近くまで
松林があったのだろうか?


街路樹として。
ヒョロリ、ヒョロヒョロの松だ。



明治から大正、昭和と、御屋敷たちは、当主が亡くなると、文化人から実業家へ、実業家からまた別の実業家へ、どんどん当主が引き継がれていったという。

当主の移り変わりの変遷は、その時代の勢いのある業種を反映していた。
硫黄から鉄鉱、石油、燃料の流れのように、誰が今の当主なのかという風の噂が、時代の流れを映し出していた。

その屋敷の敷地内に、池が掘られ滝が落ち鯉が泳いでいた著名人の"モノ"だった多くの別荘地は現在、当主が他界し、手放され、マンションが建っている。跡地に、低層マンションで100軒以上が入るようなところもあり、敷地の広大さが伺える。

誰かの"モノ"であった敷地は、多くの人々と共有されその形を変えている。
茅ヶ崎という街は、新陳代謝を繰り返し、その在り方を現代仕様に変容させていると感じた。

茅ヶ崎の街の新陳代謝から見る。所有を個人からコモンへ。

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ご婦人が教えてくれたのは、その個人所有からマンションになってきたのはここ10年くらい、ゆっくり時間をかけてあちらこちらが建て替わっている、という。

「本当にね、茅ヶ崎って良いところよ。手前味噌だけどね、暮らせばわかるわ、本当にいいところ。あなたも住んでみるのはどうかしら?」
と、お誘いを受けた。
データはn=1だが、やはり、茅ヶ崎の方は茅ヶ崎が大好きそうだ。
とても良い方で、仲良くなり、次回はお茶で伺いたいと思う。


実は、近くの駅の寒川神社にも寄って帰りたかったのだが、立ち話やら寄り道やらでタイムアップ。帰り際には、「まあ~、今日幸せだったし~良いんじゃね~」となっている自分に気が付いた。

!!!!茅ヶ崎マジック!!!!
思い返してみれば、茅ヶ崎では時間がタイトだったけど、お昼ご飯に携帯食ではなくて、ちゃんと温かいご飯が食べたくなった。
ホカホカのごはんと唐揚げをテイクアウトで食べて、目を閉じたら、さっき見た海と富士山が脳裏に広がった。

ああ幸せだなあ、幸せだなあ、と。
海、富士山、白米、唐揚げ。

特別に高価なものじゃないんだけど、そこにあるものが幸せというか。
毎日の生活の営み、この繰り返しで何でもない毎日が愛おしい。
決して派手ではない。しかし、そこに満ち足りた幸せを感じる。
幸せは、お金ではない。日々の何でもない生活に幸せがある。

そんなことを茅ヶ崎では感じた。


発見。
カフェ内では本を読んでいる方々が多く目立った。
唐揚げじゃない。(笑)
地図仕事2日目の茅ヶ崎ごはん。
美味しかった。



そういえば、茅ヶ崎ネイティブのご婦人が授業参観にはビーサンに短パンにいらっしゃる方がいてもそりゃ普通だし、夏になれば水着のまま道を歩いている人もいる。移住してきた人はビックリされてるわ~うふふ!と話していた。

オールオッケーな緩さ、大らかさがある場所だそうな。

帰りには、海から15分ほど歩いたお家の軒先に
マリンスーツが干してあった。冬だけど。そんなことは関係ない。


雄大な海と富士に囲まれて、今も昔も変わらぬのは、その土地に住む人々の「茅ヶ崎が大好き」と言う気持ちだ。あの海を愛する心は100年経っても変わらない。

日没に海に駆け付けたら、地元の方々が裸足にUGG、チャリで来ていた。
海に沈みゆく太陽を茅ヶ崎市民の皆さんと並んで、ただぼーっと眺め、この日を終えた。

茅ヶ崎のマンホールは海と烏帽子岩🌊
駅の海と反対側、
北口あたりにはやっと
少し古めの建物(向かって左)を確認できた。

中丸屋さんはお米屋さん。
かなり美味しいおにぎりが🍙
販売されている模様。


【余談/市政コーナー】
前職が役所なので、なんか役所が好きで、
出来る限り、訪問した土地の市役所を見学に行くのが趣味。

茅ヶ崎市役所でも市民情報コーナーが1階の入り口付近にあり予算書・議会録等が閲覧可能。なんだかここも、かなりオープンな造りと感じた。多くのところでは3階や5階といったわざわざ上層階へ上がり奥まった辺鄙な所にあるイメージだったからだ。(いつも通り誰もいなかったけれど、そりゃ見方や市政参加方法が分からんよな、と感じる。)

新しい庁舎。防災の際にはここが要。
入ってすぐ、右手側に市民情報コーナー
きゃっはー!
テンション上がってるのは私だけだった。
わくわく!



夕陽と飛行機雲。
烏帽子岩。

そして絵に描いたかのような雲の線に魅せられる。


【執筆後記】
ほんについでのついでで、しかも噂話で恐縮だが、



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