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私の人生、書きますね~!【エピソード0~1.5】

私のプロフィール 概要


役所公務員から旅人に戻りました。
面白い人・土地を探して旅して日本と世界を周っている地域冒険家です。
マグロのように動き続けないと体調が悪化する人間です。

【エピソード0~1.5】
1993年1月★誕生。
近所の幼稚園
→年少さんの時にクラスメイトにカバンをハサミで切り刻まれる事件勃発!(何も話さない、嫌だと言えない子だった)
→大学付属の幼稚園へ転校
→1人だけ公立の小学校へ進学
(多くのクラスメイトは既に幼稚園からグループがあり、私は1人で知り合いも誰もいず、会話も出来ず、喘息がちで、足の骨折などの外傷もあり、小学校1・2年は学校にあまり行ってない。)

→しかし、小6の時には学校の先生に
「規則って何ですか?この規則って本当に必要ですか?」などと
ノタマウ小学生になり、謎の校則について撤廃を求めクラスを率いるように。

→中学受験で1人で遠方の”ごきげんよう”が挨拶の学校へ進学(埼玉県から神奈川県へ)
→中1「暗記ばかりの英語教育は、本当に効果があるのか?疑問を呈す。」として、担任に抗議文を発布。またクラスを率いるように。
→「合唱祭の朝練というものは形状化し、ただの満足したいだけの儀式であるので取り止める。」と告知し伝統だった朝練を自分のクラスだけ中止する
→にもかかわらず優秀賞受賞

→中学高校大学までエスカレーター式だったが、”もっと面白い人に会いたい”と思い、外部受験を決意
→高校受験
→受験当日に読んでいた「海と毒薬」が入試に出題され、問題文が、まさに朝、読んでいた箇所だった。あまりのことに動揺し、試験時間60分中40分頭の中が真っ白になり動かず、5分深呼吸。結局、最後の15分で文章を読まずに問題だけ読んで問題を解くことなり、終了後トイレに駆け込み号泣。
→模試E判定の高校だったが奇跡的に合格
(模試でE判定だったけど、ここは押さえだったので、もう行く学校が無い、と泣いていたのだった。E判定を押さえにする私(笑))


→高校生になる。校則150文字しかない高校へ入学。自由なので、疑問を呈すこともなく静かに高校生活が終わる…と思われた…しかし…

→高校の生徒会長選挙にて、立候補者1人にも関わらず、選挙をするという話を耳にする。「選挙というものは、挙げて、選ぶものである。立候補者1人の選挙は、選挙に非ず。選挙というものが何なのか知らしめる。私が立候補する。」として、急遽、立候補。3分ほどの演説で400票以上の支持を獲得。
→結果は、会長になれずだったが、選挙になって大層嬉しかった。今でも、市町村の選挙で候補者がいないのを見ると悲しい。
→次年度、生徒総会に新しい生徒会長へと題し「果たし状」の巻物を持参し、殴り込み。ホール一番後ろから、果たし状を読み上げながら前へ行くというパフォーマンス付。(スポットライトもお願いしたはず。)ちなみに新生徒会長の彼女は同じクラスになり、12年後のこの前も同窓会でお話しとる。

→高校大学一貫校だったが、「大学に行く意味がわからない」として大学進学を拒否。
→「大学進学は今はしない!」と発言しテスト期間に、テストを破り捨て、試験中に帰宅。
→卒業後、大学生の同級生たちと遊びつつ、だらだら過ごす。
→”もっと面白い人に会いたい”とまた感じ始める。
→中学から趣味の神社仏閣巡り in 六本木をした際に、道に迷いJICA、商社インド帰りのおじいさんに偶然出会う
→「日本のことを君はどのくらい知っているのか?海外に出たら君が日本の代表なんだ。」と問われ、何も答えられず、日本を研究テーマとすることを決める。
→そして大学に行く意味とは”同じテーマに興味関心がある仲間に会い議論を深めることにある”と結論付け大学を受験
→日本を研究する学部に入り、面白い人たちに出会う

→一方で、プライベートではDVでボコボコにされたので、「出会った時は、本当に良い人だったのに、人間って信じられない。何なんだろう。人間のこと、私は全然知らないんじゃないか?もっと、知ろう。観察しよう。」と思い、繁華街のラブホテルのフロント業務へ。(親と彼氏が、お前はどちらを選ぶのか?我々を大事にしろ出来なければ出ていけ。と綱引き状態になり、家を無くしたこともある。これはこれでシュールな話🤣

→2-3年以上の観察の結果、「人間には裏表は無い。人間は多面的であり、私がその一側面を見て判断していただけ。相手は私を騙していたわけではない。AーZまであるのが人間で、そのAだけを見て、こんな人だと決めつけていたのは私の方だ。」と気が付く。

→小学生の時に良い個別指導の先生にあたり、私もやりたーい!と憧れを持って初めた、塾講師アルバイトをずっとして、興味のある大学の科目を取っていたら教員免許取得可能に。

→母校へ教育実習へ行く。実習行くには一応面接があるが、卒業生は顔パスだと聞く。
→あいつが来る‥。と母校では臨戦体制。5対1の圧迫面接を組まれており、こちらも決して屈さないと何枚もの履歴書を印刷。破かれても提出、破かれても提出、ワンコソバ方式に。

→なんとか教育実習に行ったが、初日の説明会で、主任教員が教室から出てないうちにペットボトルから水を飲んだとして厳重注意を受ける。
→連帯責任なので職員室に謝りに来るように言われる(誰かがミスするのを先生側は待っていたらしい。)
→が、何が連帯責任で謝らなければいけないことなのか、全く理解できなかったので、職員室にて「聞いてください。今起こったことを説明します。謝らなければならないとは、理解不能!時代錯誤!」として演説、職員室がさわ派、否定派に二つに割れる。

→何とか教員免許取得。
→大学もやっと半年遅れつつ、何となく卒業する。

→この間、4年以上塾講師をしており、英語の中高教員免許を持ちつつ、(母校教育実習追放事件がありつつ)やりたいことは英語の先生ではない
→簿記もFPも持ってるがファイナンシャル系でもない
→リサーチ会社にも顔を出させてもらったが、そもそも企業に勤めたいのか?

→旅がしたい。私は私を生きよう。誰のための人生でもない。私の人生なんだ。と思った”20歳”。あの時から行き始めた、旅にでたい。
→ふらふら旅をして生きよう。

→旅してアルバイトしてを繰り返す。
→アフリカへ行きたくなる。30~40万ほど必要。
→同級生はみんな正社員。アルバイトを繰り返していることにも不安。

→うーん、正社員になってボーナスでアフリカに行こう。今のちゃんとした職歴もない私が、なれる正社員は”公務員”だ
→ということで30科目の勉強をして(中国の科挙か!)面接

→受験した役所の地域に縁が無かったので、2週間で縁が出来る方法を考える
→その地域に競馬場があることを発見。
→競馬場に履歴書持って行って働かせてください!
→そこから2週間、競馬のおじちゃんにこの地域について生活保護について聞き込み、競馬のバイト仲間のママさんに地域の子育て政策について聞きこみ、競馬場運営会社に中小企業支援について聞き込み、競馬場に来る地元の方々に聞いた地域の歴史も頭に叩き込み、バイト帰りは毎日地域をウロウロして地域の雰囲気を体に叩き込み、
→面接、合格。

→やったー合格したーと思って旅仲間に話したら、そういえば…とインドに厳しい修行があると聞く。

→その名はヴィパッサナー瞑想。なんでも10日間誰とも話さず瞑想14時間、携帯や本は没収。とにかく自分に向き合うらしい。「どんだけ辛いのか味わってみようじゃん?」とその場で飛行機✈️と瞑想を英語で探し出し現地で予約。(後日、京都と千葉でできることが判明。)

→予約してから、これは私の初1人での海外一人旅だってことに気がつく。初の1人でインド…しかもあるか分からない瞑想…いや…行ってやろうじゃん。無かったらインド周遊だよ!

→結局、あった。入る前に全ての規律を守ると誓約書、逃げ出す人もいることを告げられる。
こちらにまとめてあるけど、私にとっては瞑想修行なぞ楽しいだけ。普段の生活のほうが数十倍きつい。
→終了後にみんなにインタビューしたら、みんな同じ体感(5日目からtime fly)をしてて、本当にバックグラウンドから何から違ったってみんな人間なんだ!って肌で感じる

→近くに宗教村があるとのことで帰りは数週間ほど、そちらに冒険しに行く、バイクの後ろに乗ったり裸になったり、とりあえず無事。楽しいインド🇮🇳
→帰国して思い出す、そういえば、インド行く前に公務員になったんだった。そして、4月入庁。

→「私、アフリカに行きたいんです。」入庁初日に課長に言い放ち大笑いとその他大勢を氷河期に落とし込むが、晴れて旅人は公務員となった。

→かなり人に恵まれていたし、公務というのも私の好きな人助けにお給料が支払われ幸せを感じる。
→プライベートでは自分の誕生会を開催。独りで結婚式はできないのか?という問いがあり「一人結婚式」を開催。2週間で50名以上が集まった。
(会計が苦手なので自己資金15万のマイナスwww)

→職場では10日間お休みを取り、目標だった、アフリカへ到達
→帰国後に半年経ち、血尿が出る
→理由が分からない
→上司は優しい、定時に帰宅。
→こんなに色々恵まれているのに、なんで自分は血尿を出し馴染めないのか?おかしいんだろうか?幸せなのに。わがままなんじゃないか?恵まれているのに。

→どんどん体調悪化
→一時戻る
→が、しかし突然に起き上がれなくなる
→色々なことを試して回復を試みるも全く回復しない
→自分自身に聞けば「仕事を辞めて、もっと旅に行こう。」
→お世話になった恩はどうする?薄情ではないか?私は、どこから血がどんなに出ても、もっと頑張れるし耐えれる。
→しばらく聞こえないふり
→ややしばらく聞こえないふり
→ややややしばらく聞こえないふり
→自分の声を無視すればするほどに体調の悪化。内臓から出血。肩も五十肩でデスクワークが数か月できなくなる
→周りのアドバイスもあり、「わかってるよね。」辞める決意。

公務員になって”普通”になりたかった。でも、”普通”ってなんなんだ。私には、私の”普通”が”スタンダード”があるんじゃないか。
→マグロみたいに動き続けないと体調悪化するんだ。と自分を知る。

→旅人に戻る
→色々なコミュニティに潜入し居候中。現地の方の家に泊まったりそれはそれは楽しくやってる

移動しながら仕事を得てみる
→クリアしたので
→腹くくる、個人事業主届提出
→今度は移動して暮らしつつ自分の能力を使った仕事の割合を100%にしてみる(イマココ)

ということで、お~色々省いたが大体の大枠を書けた気がする!
嬉しい!これが私の人生じゃあ~!!!!!武勇伝はこれでも、省いてる。(笑)

これからも人生楽しもうGOGO!!! 私たちが己の道を歩きやすい世の中になるために、今日も、私は自分が信じる道をただひたすらに突き進む。



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