旅行記

 すっかり春の気配がする東京の4月。田舎にいた頃、入学式というのはまだ肌寒く、どんなコートを着るべきか難しいような季節だったような気がする。

 うっかり落としてしまったスマートフォンの割れた画面を直すために、汗ばみながら池袋駅を通ると、ある小太りの女性が犬や猫を助けるための募金活動を行なっていた。誰も見向きもしないから、彼女の声は一層甲高くなっていって、すぐそばの喫煙所からは白い煙がもくもくと漂っていた。その、「助けてください!」という声が、犬や猫のためのものなのか、彼女自身を救うための言葉なのか、それは私にはいまいち判別がつきかけたが、それほど一生懸命になってあげるほど私は彼女から恩義を受けたことはなかったので、私は足早にスマートフォンを修理する店に向かった。

 学生時代に流行ったポップミュージックに乗せて、中学生か高校生くらいかと思える集団がステージでダンスを踊っていた。そこに群がる大勢のコスプレイヤーたちのレンズは向こう側ではなく自分たちを映していたが、舞台上の派手な衣装の彼女たちが必死に腕を振りながらステップを踏んでいるのは、私にはどういうわけだか許容できないことのような気がして、とても嫌な気持ちになった。修理がそろそろ終わるという時間になったのでそのまま元いた駅前に戻る。途中、男物のマネキンから衣装を剥ぎ取ろうとする女性店員が、ダンスを踊る中学生よりよっぽど健康的に見えて仕方なかったのだが、それは単に、私が労働の奴隷だからであるに他ならなかったかもしれない。コーヒーの匂いは、キーボードの音を想起させるものではなかったのに。

 昨日はよく晴れていて、少しだけスモッグの空は、3月に見た小樽の空とは似ても似つかなかった。初めて行った石狩平野は、私が盆地の出身だということを強く感じさせる、まさに広大な平野部で、地平線を見るというのは私にとってこれも初めての経験だったので、その大地のカタルシスに少しだけやられてしまった気がした。人工的なまでに青い空と海、そして必要に駆られた建物たちと磯の香りは、かつて栄えていた港町の歴史を思い出させて、目にゴミが入ってしまって涙を流していた隣の恋人とは別の理由で、私もまた、少しだけ涙が出るような気がしたのだ。

 海の向こう側には大陸があるはずで、その向こう側には何億という人が生活しているはずだった。でもそれは、ある種宗教的信仰みたいなもので、今私に見えているのはほんの少しだけ弓のようにしなった、波の落ち着いた広い海と、物静かな倉庫群に響く鳥の鳴き声だけなのだった。そしてJR函館本線に揺られながら私と恋人はそんな風景の中で子供がどんな風なことを思いながら暮らすのかということについてかなり真剣に話した。私は、つい最近亡くなった大江健三郎氏の小説について思いながら、彼が辿り着いたのは一体どこまでだったのだろうと、そして私もまた、年齢を密かに加えるにつれて、真理のようなものに着実に近づいていっているような、なんとも言えない悲しみに似た気持ちになるのだった。

 シンプルで、デジタルで、そして非常にわかりやすい形で歴史的な街の風景に、そして港町的・牧歌的世界には、それは美味しい食べ物がたくさんあって、そのそれぞれが必要的であることが非常に美しかった。飾りの少ない、自然な形で、ちょっとやそっと触ったくらいでは壊れない、そういうデザインの街だった。(グッドデザイン賞を獲得したケーキ屋さんはその中では一際目立って、一層軽薄なもののように思えた。恋人はケーキにはストーリーがあるというが、ケーキ屋は意味ありげな伏線だけを張って勝手な議論を傍観する偉そうな漫画家と似てはいないだろうか?)少しだけ宗教的になりかけた時、でも、宗教家が信じている神は大抵の場合男神で、その神にうっとりとしている片足を露わにしている女は彼の言葉に耳を傾けていると思うと、私は神をも殺してしまいたいような気持ちになるのである。もちろん、神に殺意を覚えることはとってもいけないことだ。

 帰り際、駅前のペット愛護団体の女性はいつの間にか愛国党の男に変わっていて、彼は和服を着てフェンスにもたれながら、国民年金のことを叫んでいた。私は、彼らの言葉の方がよっぽど社会的であるような気がして、少しだけ気が引けた。そういう時、カメラロールに残る20数枚のピンボケの写真を見ると、とても安らかな、そして宇宙的な気持ちになるのである。労働の奴隷であるかもしれないことを意識するとき、それを忌避する全ての行動が結局奴隷的発端から先に進めない時、ただ、古い友人の誕生日を心の中で祝うことで、私はもしかしたら神に救われるのかもしれなかった。

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