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「さて、目標は見えた。この先をどうするか、である」・・・やや長文です。


○韓国の映画人育成
韓国の映画製作事情を伝えるニュースを見た。
あの国では、映画や芸術を産業の中核の一つとして捉え、
国が支援している。

特に入場料の3%が業界人の育成に使われているという所が興味深い。
そのお金が注がれている映画学校での、作品講評会の様子も映されていた。
講師・教授たちから繰り出される辛らつな講評は、
「若い人が辞めてしまうから、厳しい言い回しは避けてください」と言われる日本の現状とは雲泥の差がある。

中でも印象的だったのは、教授が放ったひと言だ。
生徒である映画監督が「自分がやりたいことをやった」と話したのに対し、

「私は、あなたが自分がやりたいことをやったと聞いてゾッとした」

と酷評したのである。

私の知る限り、日本にある多くの映画製作者の養成学校で、まず最初に問われるのが、

「お前は映画で何がやりたいのだ?」

ということだ。

これは卒業してもしばらくは付いて回る。

作品の内容が不明瞭だと、「何がやりたかったのか分からん」といような感想を聞かされる。
これは幾分言葉が足りない。
本当は、「この作品で、どんな人をどうやって喜ばせたいのか分からん」
という意味で取るのが正しいように思う。

それもあって、私は作品作りを教える時に、まず「誰を喜ばせるか」を最初に教えるようにしている。

○監督のやりたい事
ワンシーンワンカット、パンフォーカス、セリフの無いドラマ、ヌーベルバーグみたいな、誰それみたいな凝った映像、監督がエキストラでちらっと写っている・・・等々、映画ファンの映画監督がやりたがることがいくつかあって、それを「やりたかった」と言い放つ人は、観客を置いてけぼりにしている事が多い。

もちろん、監督自身にも責任はあるが、大元の問題として、
誰に見せる、誰を喜ばせる、という教育が抜けていることがある。

○学生はお客さん
昔、「のだめカンタービレ」という漫画の中で、「僕はやる気のない学生にやる気を出させるほどやる気のある教授じゃない」と話す教授が、こんな事を言っていた。
「それでもお客さんである学生さんを満足させるために授業をしている(ちょっとうろ覚えですすみません)」

とにかく、学生は「お客さん」なのである。
人材不足のおり、助監督なりADなりになろうとする人が、業界が厳しいと感じて辞めてしまうのは困る、という現場の声が大きいのだ。

特に芸術系大学に多い考え方だと思う(一般の大学などにも言えることだろう)
何を学んで、社会でどう稼ぐのか。を教わるために学校に行く筈なのに、作家性や自己表現などといった事ばかり問われる。
もちろん、芸術なのだから、作家性は重要だが、それと経済を両立させる教育が必要だ。
今メディアが多様化して、金を稼ぐ方法も多様化した。
芸術分野だけでなく全てにおいて、中学高校の間に、金融リテラシーの教育をもっとするべきだと思う。

○作家性の甘い罠
話を戻して、学生に「作家としての、オマエのやりたいことなんだ?」と聞くのは、ある意味甘い罠である。
「作家性」という一種の麻薬にも似た心地よい言葉で、
「稼げなくても良い」
という暗示をかけられてしまう。
若い人や職人が経済的に犠牲にならなくても製作できるほど、
金銭が回るような仕組みを作らなければならない。そうする事で既存のメディアも息を吹き返し多彩な才能が芽を出す事であろう。

映像や芸術によって金を稼ぐ方法が はかつて無いほど増えている。
しかし、どのメディアでも「どうやって客を喜ばすのか」と言う点では変わらない。
これは、趣味でない場合の唯一無二の必要なポイントである、と思う。

ところが、「興行」を意識すると、客の入るタレントを選んでおけば良い、という方に針が振れてしまったりするのだから難しい。

もちろん、それもあれば良いし、作品制作能力向上も必要である。

偉そうに書いても他人のことばかりではない。
作家性と興行を両立させる、などと考え始めると、自分もすぐ図に乗ってしまう。
自戒を込めて、観客を喜ばせるとはどういうことか、を考え直してみたい。
そこに、経済(興行や収益)と創作の蜜月があるように思えるからだ。

            おわり


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