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大航海時代❕PARTⅡ ~イスラム教徒とキリスト教徒の確執~

前回の記事で大航海の目的はアジアとの貿易にあったと書きましたが、
↓↓↓前回の記事


そもそもヨーロッパとアジアは陸続き。
何故、海に繰り出す必要があったのでしょうか?


ヨーロッパとアジアの間に立ちはだかる巨大なイスラム帝国

下のMAPの通り、地中海を囲む帝国。
緑色で塗られているオスマン帝国という帝国は、イスラム教徒が建国した国になります。
そして黄色で塗られているサファビー朝もイスラム教国家になります。

MAP

7世紀にサウジアラビアで誕生したイスラム教。
イスラム教の普及とともに、ヨーロッパとアジアの間には、巨大なイスラム帝国が立ちはだかりました。

当時はアメリカ大陸も太平洋も発見されていなく、海洋貿易の中心は地中海でした。
イスラム帝国の出現により、ヨーロッパは地中海貿易から締め出されてしまいました😓

イスラム教徒とキリスト教徒の確執

イスラム教国はアジアから香辛料や絹・宝石などを輸入し、キリスト教国であるヨーロッパに輸出していました。
イスラム教国はその貿易で、ヨーロッパから莫大な仲介手数料を得ていました。
ヨーロッパはイスラム教国を介してしか、アジアからの品々を手に入れることができませんでした。

ヨーロッパのイスラム教国への不満は高まり、イスラム教国を介さないアジアとの直接取引、つまり海路の開拓を考えたわけであります。

今日まで続くキリスト教徒とイスラム教徒の対立は、宗教摩擦だけでなく、経済的な摩擦によるところも大きかったといえます。

そして、ヨーロッパの人々は大航海へと繰り出していきます。

いざ、大航海へ

ヨーロッパの西端に位置するイベリア半島。
そのイベリア半島の両国、ポルトガルそしてスペインがいち早く大西洋へと繰り出していくわけです。

MAP


いち早く大西洋に繰り出したポルトガル


大航海時代 航路

いち早く航海に繰り出したポルトガル。
まずは大西洋を南下し、アフリカ諸国の探索から始まっていきます。
大西洋が世界の端と考えられていた当時。
大西洋とインド洋が繋がっている可能性を模索するため、アフリカ西海岸沿いをひたすら南下していきます。

1488年、ポルトガルの航海者バルトロメウ・ディアスがアフリカ大陸の南端、現在の南アフリカ共和国へ到達しました。
インド洋へと抜ける航路も発見し、ポルトガルの希望、「喜望峰」と名付けました。


今回はこのぐらいにし、次の章ではコロンブスら大航海時代の著名な人物を紹介していきます😄
最後までお読みいただき、ありがとうございました☆彡

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