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今日は自分の51歳の誕生日でした。

誕生日といってもSNSでたくさん送られてきたおめでとうメッセージに時間かけて返事を書くこと以外、何か特別なことがあった訳でもなく、普通の一日を過ごしていました。

50歳になった去年はなにか一区切りみたいな気持ちになりましたが、今年は特になにも感じませんでした。きっとこのまま気づいたら60代に突入するのだろうなと思われます。

誕生日だからということではありませんが、日頃から考えることは、

・なぜ仕事をするのか
・人はなぜ生きるのか

この二つです。

この年齢になっても正直明確な答えは出ていませんが、

仕事は自分が得た知識や経験をもって誰かの役に立つことができたら嬉しいこと、なぜ生きるのかは、自分を高めるための修行というように考えています。

いずれもまだまだ道半ばです。

そして、その道をこれからも進んでいくためにも忘れてはいけないことをこの記事に書き残しておきたいと思います。

普段から自分が大事にしていることは、儒教における仁・義・礼・智・信の五常です。

仁・・他人を思いやり、慈しむ
義・・人の行うべき筋道を守る
礼・・社会の秩序を保ち、実践する
智・・是非や善悪を識別する
信・・自分も他人も欺かない

こんなことを書いていると格好つけてると思われるかもしれませんが、歳を取れば取るほど、ますますこの境地に近づきたい気持ちが強まります。

ずっと若い頃は、偉くなりたいとか、お金を稼ぎたいとか人並みに欲を持っていましたが、どこかでそういうことを目的にしていることに虚しさを覚えたのが30歳くらいでした。

不思議と欲を捨てると、気持ちに余裕が生まれて、自ら望まなくてもそれらが自然に入ってくるというのを経験してからもうずっと自分の姿勢は変わりません。

そして、きっとこれからも変わらないと思います。

いま、仕事として注力しているのは中小企業のナンバー2人材の育成支援ですが、私の基本的な考え方というのはこの五常に集約されているなとつくづく感じます。

・縁の下の力持ちは人を思いやる気持ちが強くないとできないこと。
・組織のリーダーというのは筋を曲げていては人を統率できないこと。
・働きやすくて、成果を出しやすい環境を作る前提には秩序が必要なこと。
・人として正しい判断をしないと組織は崩壊すること。
・他人も自分も騙していれば本当の信頼関係など築くことはできないこと。

言ってみれば当たり前のことばかりではありますが、ここにわずかでも利己的な考えが紛れ込むと不思議と上手くいかないものなのですね。テクニックだけの世界じゃないのです。

人によって仕事をする、生きることの目的や意味は異なるでしょうし、自分と違うからといって批判も否定をする気もなく、ただ、自分はこういう考え方しかできないことを承知して、賛同してくれる人としか仕事はできないと割り切っています。

時々、自分の書いた言葉を読み返して、これからも気を引き締めていきたいなと思います。

独り言にお付き合いくださり、最後まで読んでいただきありがとうございます。

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